「父上!すぐにでも門を破るべきです!」
 勇ましい鎧姿の青年―――――燎珪顎は、父である燎謳珪に、激しくそう問うた。
 時はすでに日が沈み、闇が彼らの周りを支配している。
 その空には、闇を穿つように、ただまあるい月が爛々と輝いていた。
 彼らがいるのは少し小高い台地で、目の前の竹林でほとんど見えないが、その眼下に館―――――藤原千方の居住が僅かに覗ける。
 藤原千方の館は西にある主だった出入り門の前に、竹林に囲まれた小高い台地があり、母屋の背となる北側には山が据えていた。
 塀で囲まれた館の中は、出入り門から中心に石畳がとおり、南側に出入り門から蔵、離れと続き、北側に母屋がある。
 出入り門の眼前に台地があるかわりに、最も狙うべき母屋の背に、大きな山があり非常に攻め難い地形であった。
 また、攻め入った者を、母屋と離れで両側から攻め、押し返すことも視野に考えてある造りだ。
 そして燎家は、その出入り門前の台地に、陣を張っていた。
「そう急くな、初陣で気が立ってるのも、陣を張るのに時間が経ちすぎて苛立っているのも判る。だがここは、使いに出した奈嘉背が戻るのを待つのだ。」
 謳珪は自身の鎧羅、蒼焔を背にしながら、息子、珪顎をそう諭す。  
「そもそも、御君が我々をここへ出したのは、確実に藤原千方を都より追い出すためにある。それに、あの男は、伊賀の国にいるというムカデと呼ばれる山人達との親交が厚い。武力行使をし、曲がり間違って千方を殺してみよ、山人達が乱を起こすことは考えに易い。」
 謳珪のこの言葉に、珪顎は眉を下げ、表情を曇らせる。
 彼のその顔は、今までの勇ましさは無く、少年のような表情で、彼本来の心根を表していた。
 その顔に、父である謳珪の顔も緩み、慈しめた苦笑を浮かべる。
 その時であった。
 「うわああ」と小さく怯えた声を上げて、傍らに立っていた兵が、その尻を落として座り込んだ。
 二人は、怯える兵が見るその先を、見上げる。
 そこには、大きな月の下弦を覆い隠さんとするほど巨大な、ヒトガタの何かがあった。
 そのヒトガタの何かは、その鈍く光る双眸で、睨めつけるように燎家の陣を見ると、右腕らしきものを上げる。
 するとそれは、その手にした巨大な槍を、空高くへと持ち上げ、そして、


 奈嘉背は急いでいた。
 それは、陣を張るのに時間がかかり過ぎていて、すでに夜が更けていたのもあるが、千方邸に向かうには鎧羅が入れない、竹林を縫う狭い径を使わなければならず、自らの足ではいかほど時間が掛かるかわからないからだ。
 そんな想いに足が急く。
 だからだろう、思わず奈嘉背は走った。
 白髪交じりの、長い髪が揺れる。
 その時であった、竹林の向こうで何か、爆発するような激しい音が響いたのは。
 奈嘉背はこの音に不安を覚えたが、鬱蒼と立つ竹林のおかげで、その音の先――――陣を張った台地は伺うことは出来ない。
 奈嘉背は数瞬途惑うも、付き添いの部下に陣へ戻るよう命じ、自らはその足を速せた。
 そして、門前に着いた奈嘉背は、門を叩くよりも先に台地の方へ頭を振る。
 だが、見上げた先は暗く、奈嘉背の目には何も伺えない。
 しかし、奈嘉背はそれに妙な違和感を感じた。
 考えてみれば、煌々と輝く満月があるのに、ここは暗すぎるのだ。
 竹林が光を遮っているのかと思うが、先ほどまでの径ならいざ知らず、門前はきれいに刈り込まれており、充分な広さがある。
 訝しげに良く空を見れば、星すらも見えない。
 奈嘉背はさらに空を凝視し、そして驚愕した。
 それは得体の知れない何か巨大な、筒状のモノがはるか向こう―――――台地に向かい、腕を伸ばすようにしてあったからだ。
 いや、この形状は明らかに腕であった。
 その影には、奈嘉背にとって見慣れた鎧羅特有の形状を見て取れていたのだ。
 この大きさから、よく見る二丈などという常識的な鎧羅の大きさなど、遥かに超えたモノだとわかる。
 奈嘉背は驚きを隠せぬ顔で、台地から伸びるその腕を目で追う。
 そして、その腕が伸びる先、いや根元は、明らかに千方邸内にあるのを見た。
 奈嘉背は門を蹴り開けると、その姿に再び愕然とする。
 月を覆い隠すほど巨大な”ソレ”は、伸ばした腕を袂に戻すと、奈嘉背の姿に気付いているのにもかかわらず、一瞥もせずに悠然と北の山に向かって歩を進めた。
 莫迦らしいほどの巨大さを見せ付けた”ソレ”は、母屋を踏み越え、山の向こうへと消えていく。
 奈嘉背はただ、それを見上げる外に、術はなかった。

          *         *         *

 斯して、燎家は当主と嫡男を同時に失い、家内は混乱へと陥った。
 それに乗じて、義弟となる戒道信一郎が燎家の家督と家名を、一時預かりというかたちで掠め取ることとなる。
 家臣である白塚奈嘉背は、主を守れなかったことを悔やみ、その姿を何処かへと消す。
 それと時同じくして、燎家次男、燎珪次郎と末娘サヤも、その姿を消すのであった。

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