奈嘉背は火具土の手から飛び立つと同時に、腰に下げた刀を引き抜いた。
 僅かな音をあげて降り立つ。
 髑髏男はサヤを抱えたまま踵を返し、奈嘉背と対峙した。
 手にした刀を、下手に構え、奈嘉背は足を広げる。
 じりじりと摺足で間合いを詰めて行く。
 半歩ほど詰め寄ると、髑髏男は僅かに躰を後方に流そうと、その上体を揺らがせた。
 奈嘉背はそれに、一歩、大きく間合いを詰める。
 髑髏男もそれに対し、その踵を浮かせ、後方に下がろうとするも、突然その動きを止めた。
 それと同時に、奈嘉背の背後で、大きなモノ―――――火具土が動く音が響く。
 おそらく、火具土が逃げんとする髑髏男に、睨みを効かせる為に、何かしらの動きをとったのだろう。
 奈嘉背は更に一歩近付いた。
 二人の間は最早、人一人割り入れる程も空いていない。
 お互いの吐息すら聞こえる距離である。
 髑髏男は最早動かない。
 否、
 動けない。
 奈嘉背は髑髏男を睨み、手にした刀を握り直す。
 僅かな金属音が二人の間に響く。
 奈嘉背は髑髏男の、黒く穿たれただけの眸を凝視する。
 そして、じっとりと汗を掻いた。
 それは何も、その眸から見えなかったからだ。
 宵闇の所為ではない。
 事実、奈嘉背は月を背負っている。
 その奥に眸があるのならば、僅かにでも光が漏れる筈。
 しかし、奈嘉背が如何に眸を凝らそうとも、それは一切伺えない。
 これは、眸そのものが無い盲か、もしくは、
 ―――”人でないか”
 その考えに至り、奈嘉背は更に脂汗を掻いた。
 咽喉を鳴らし、生唾を飲み込む。
 追い詰めているのは、明らかに奈嘉背である。
 だが、じっとりと汗を掻き、その貌を強張らせてるのは奈嘉背の方だ。
 奈嘉背は髑髏男を睨みながら、想像した。
 己がこの髑髏男を切り伏せる様を。
 サヤがいる以上首や頭は狙えない。
 斬るならば、腹部、それも臍より下辺りか、脚を断つかである。
 脚を断ち、文字通り足を奪うか、腹部を斬り、動きを封じるかし、而してサヤを奪い返すなり、先に止めを刺すなりすることが得策かと思えた。
 だが、奈嘉背には、”それが想像出来なかった”のだ。
 否、腹部なり脚を断つなりは想像は出来た。
 奈嘉背が想像出来なかったのは、止めを刺す姿である。
 何処を断とうとも、この髑髏男は事も無げに、何も変わらず其処にいるような気がしたのだ。
 否、むしろ、斬ったことによって、体勢が変わり、脱兎のごとく逃げられる様な気がした。
 一手で止めを刺せる、突きで攻めることも考えたが、下手に構えた体制では手数がかかるうえ、動きが直線的であり、避け易い。
 その上、相手の動き如何では、サヤに被害が及ぶこともある。
 やはり、動きを止めて、止めを刺す他なかった。
 ―――しかし…
 ―――どうすれば?
 奈嘉背が攻めあぐねいていたその時である、背後で火具土が動く音がした。
 奈嘉背はそれに反応して、僅かに肩を震わすが、髑髏男から視線を外しはしない。
 髑髏男も微動だにせず、ただ奈嘉背に対峙している。
 奈嘉背は己が心中に生まれた、疑問符を無視するように、眼光に力を込めた。
 だが、奈嘉背のその心中を壊すように、突如その頭上を突風に似た何かが薙いだ。
 奈嘉背がそれに一瞬反応し、片足を半歩後ろに下げ、僅か、ほんの極僅かに後方を見る。
 その奈嘉背の眸には、轟音を響かせ月光を隠し、虚空より火具土に襲いかかる、単のような腕を持った、不可思議な鎧羅の姿が見えた。
 一瞬、その光景に目を奪われた奈嘉背の姿を、髑髏男は見逃さず、無音のまま後ろに退く。
 奈嘉背はそれに反応し、握った刀を振って、一歩前に出た。
 しかし、刀は僅かに髑髏男の着物を掠め斬るだけである。
 それでも、振ると同時に一歩前に進んだので、その間合いは変わらない。
 後方では鎧羅の争う音が響く。
 だが、もう奈嘉背は気を取られない。
 ただ目の前の髑髏男に集中する。
 奈嘉背は髑髏男を見据えたまま、刀を鞘に収め、その姿勢のまま両の足を広げて僅かに腰を落とした。
 ―――致し方ないか…
 ―――サヤ様許されよ。
 奈嘉背は、今はサヤのことを忘れ、この髑髏男を殺すことを決めた。
 奈嘉背の視界が狭まり、音が消える。
 髑髏男はやはり、何処を見ているかも判らない黒い双眸で、サヤを抱えたまま立っていた。
 だが、姿勢を変えた奈嘉背に対応するかのように、その場に屈んだ。
 そしてサヤをその場に下ろし、横に寝かせる。
 その行動に奈嘉背は一瞬驚するが、直ぐに気を取り戻す。
 髑髏男は立ち上がり、僅かに左に摺り動く。
 奈嘉背はそれに呼応し、少し向きを変え、鯉口を緩める。
 髑髏男は少し足を広げて、腕をだらりと下げた。
 僅かな時が流れ、再び二人の上に、月明かりが降りる。
 空気が動く。
 髑髏男の両腕が掻き消えると、奈嘉背の眸に何かが、月明かりに煌いたのが映った。
 刹那、奈嘉背は刀を引き抜き、振る。
 二、三度金属音が響き、地面に何かが突き刺さった。
 それは菱型の刃物で、拳一つほどの短い握り手がついている。
 これが三つ、奈嘉背の髑髏男の間に突き刺さった。
 奈嘉背は再び、刀を鞘に収め、同じ姿勢をとる。
 髑髏男は何時の間にか一歩下がっていたが、この姿勢の奈嘉背にとっては、間合いの差はない。
 奈嘉背の遥か後方で、再び空気が振動した。
 またも髑髏男の両腕が消え、再び何かが飛んで来る。
 奈嘉背はやはりそれを、刀を抜き降って弾き落とす。
 だが先程とは違い、髑髏男は更にもう数度、それを投げ飛ばした。
 奈嘉背はそれに反応して、刀を取って返しながら、数度振り、それら凡て弾き落とす。
 僅かな土塊を飛ばし、その刃物―――――クナイが二人の間に、十余りも突き刺さった。
 土が爆ぜる音が響く中、向かってくるクナイに、奈嘉背は最後の一振りをする。
 金属音が響き、奈嘉背は見事、そのクナイも弾き落とした。 
 宵闇の中、目にも留まらぬ速さで空を裂き、飛び来るそれは、常人ならば反応も難しいだろう。
 しかし、奈嘉背はそれら凡てに対応し、凡て刀で弾き落としたのだ。
 まさに、常人離れした腕前、達人である。
 だが、そんな奈嘉背でも、予想だにしなかった、異変が起きた。
 それは、髑髏男の姿が、忽然と消えたのだ。
 最後に刀を振った一瞬、確かに奈嘉背の視界は奪われたが、それは本当に一瞬である。
 逃げることはおろか、隠れることすらも難しい。
 あまりにも予想だにしないそれに、奈嘉背は「な…」と呆けた声を上げて、腕を下げた。
 奈嘉背は暫し呆けたが、はたと我に返り、サヤの方に眸をやる。
 逃げたならば、サヤを置いて行くはずはない。
 しかし、その奈嘉背の懸念は外れ、サヤは未だそこに、意識の無いまま横たわっていた。
 ほっと胸を撫で下ろすと同時に、再び疑問符が涌く。
 ―――いったい、どこに?
 ―――何処へ行った?
 奈嘉背は視線を左右に走らせた。
 夜の間とはいえ、月明かりが射している、奈嘉背の眸には充分である。
 例えあの素早さと、黒装束でも僅かには見える筈だ。
 筈だったのだが、やはり見えない。
 奈嘉背は更に、視線を上下に動かす。
 だがやはり、何処にもその姿を認めることは出来ない。
 頭を振って後方を見た。
 既に火具土も、あの不可思議な鎧羅の姿も無く、勿論、探している髑髏男の影も形も無い。
 奈嘉背は頭を戻し、得心がいかぬような顔をしながらサヤを見た。
 奈嘉背はふんっと音を発てて、困惑が混じった息を吐き、サヤに向かって一歩出る。
 その刹那、奈嘉背の胸元を何かが押し、火傷にも似た、鈍い痛みを感じた。
 奈嘉背は動きを止め、ゆっくりと己が胸元を見る。
 その奈嘉背の眸に、己の胸から、何か棒のようなものが伸びているのが映った。
 その棒は胸元で少し広がり、その先は胸の裡に、埋もれている。
 どうやら、先程のクナイと同じ得物のようだ。
 突然、全身の感覚がぐらりと揺らぐ。
 そして、奈嘉背はがくりと膝を着いた。
 意識が、感覚が急速に遠ざかってゆく。
 手にした刀が、力なく落ちた。
 最早、指一つ動かす力も入らず、そのまま首を落とす。
 消えんとする己が心に、ただ、延々と焦燥感が染めてゆく。
 視界がどんどんと狭く、昏くなる。
 奈嘉背は、己の凡てが消える刹那、サヤの事でも、そして珪弥の事でもなく、亡き妻と実娘、雪奈の姿を幻視し、何故か「すまなかったな」と口内で呟いていた。
 奈嘉背はそんな、侘びる己を滑稽に感じ、少し自嘲の笑みを浮かべる。
 そして、そのまま奈嘉背の凡ては消えた。

            *         *         *

 珪弥の意識が戻ったのは、既に太陽が煌々と東の空に輝いている頃であった。
 あまりの眩しさに、珪弥は顔を逸らす。
 そこで妙に地面が遠いことに気づき、珪弥は己が未だ、火具土の裡に居る事に気が付いた。
 どうやら、あの不可思議な鎧羅と闘ったまま、気を失ったようだ。
 視線を上げると、その不可思議な鎧羅の一部であった”両脚だけ”が、腰辺りを残し、目の前に立っているのが見えた。
 神火を放ったようである。
 珪弥は火具土をその場に座らせると、仮面と手繰り糸を外し、火具土の腹を開けてその裡から出た。
 珪弥が降り立つと、足元に木片が散らばり、溶け落ちた鉄塊が見える。
 これが残ったその鎧羅の脚を、直立させたままその場に立たせている様だ。
 珪弥はぐるりと辺りを見る。
 貯蔵小屋と平屋の間で、飯炊き女達が騒然とこちらを見ているのが見えた。
 反対には、火具土が進んだ軌道に、枝が刷り落ちた木々に挟まれた、山道が見える。
 珪弥は山道の方に体を向けると、足早に歩みだした。
 ―――サヤはどうなった?
 珪弥は己がサヤを、失念していたことに至り、奥歯を噛んで走った。
 しかし、赤土や岩が、容赦なく珪弥の足を奪う。
 なだらかな勾配を暫く駆け降りると、暗く強張った表情をした雪奈を先頭に、男達が登って来る姿が映った。
 男達は板に乗せた、何かを担いでいる。
 珪弥の脳裏に、とても”厭な”思いが浮かぶ。
 珪弥は足を止め、恐る恐るその板の上に視線を飛ばす。
 珪弥の目に映ったのは、胸元を血に染めた、奈嘉背の躰であった。
 ぐらりと、珪弥の足元が揺れる。
 しかし、珪弥は驚愕と喪失感の中、安堵感も感じていた。

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