奈嘉背はがくりと膝を着いた。
意識が、感覚が急速に遠ざかってゆく。
手にした刀が、力なく落ちた。
―――これが、
首を落とす。
最早、指ひとつ動かす力もない。
―――これが、
ただ、延々と喪失感が心を染める。
―――これが、死か。
珪弥は火具土の歩を止めて、そのまま威嚇するように前屈みにした。
奈嘉背が腕から飛び降り、髑髏男の真後ろに立ち、腰に挿した太刀を抜く。
髑髏男はサヤを担いだまま、踵を返した。
奈嘉背がずいと、一歩前に出る。
髑髏男は身を引こうとするが、珪弥が火具土の両腕を胸元に構えさせると、動きを止めた。
さらに、奈嘉背が一歩前に出る。
最早、奈嘉背の間合いだ。
その時である、珪弥は視界の端に、何か違和感を感じた。
珪弥は視線を上げる。
そこには、先ほどから何も変わらない、闇夜が広がっていた。
否、一つだけ”おかしなもの”がある。
それは人影。
夜空の彼方に、両の腕を広げた人影が、浮いていた。
否、迫って来る。
曖昧で朧気な姿は、やがて実像を結び、その全身を月下に顕した。
足首の先は鳥のような鉤爪があり、腹部は蛇腹状で、水平に伸ばした両の腕は大量の節々で出来ている。
不自然な形の胸板に、その首周りには歪な球体が並び、そこに乗る頭は、頬被りをした様で、その間から紅く怪しい弓形の両眸が覗く。
そしてその額には、悠然とそそり立つ、二本の角が。
それは、滑稽とも、恐ろし気ともいえる鎧羅である。
珪弥はその姿に、思わず咽喉を鳴らして、火具土を一歩、後退させた。
それは更に大きくなり、火具土へと迫ってくる。
珪弥は更に火具土を後退させた。
それは両の腕を前に突き出すと、半ば落下するかたちで火具土へと襲いかかって来る。
珪弥は咄嗟に、火具土の腕を上げてそれを迎え撃った。
お互いの腕が絡まり、金属の磨れる音と激しい衝撃が珪弥を襲う。
奥歯を噛み締めて、珪弥は火具土を踏ん張らせる。
二柱の鎧羅が、月光の下で互いの両掌を掴み合わせ、拮抗し、睨み合う。
宵闇の空に、金属が磨れる音が響く。
珪弥は両の腕に力を込めて、火具土の腕を操る。
奥歯を噛み締めながら力を込める珪弥の眸に、ふと、その鎧羅の、腕の形状が映った。
その腕は、手首の辺りが不自然に広がっており、まるで単の袖の様である。
虚空に浮かぶ時は、水平に構えていた為に判らなかったが、この間近にて、漸く判別出来たのだ。
その不自然な形状に、珪弥は何やら怖気が走るのを感じた。
珪弥は思わず火具土の指を緩めさせ、上体を仰け反らせる。
その刹那、珪弥の躰が火具土ごと後方へと、凄まじい勢いで引っ張られた。
目まぐるしく珪弥の視点が転がる。
そして浮遊感が珪弥を包み、珪弥の眸に巨大な太陰が映った。
火具土の、脚の感覚がない。
僅かに火具土の腕を下に向けるも、空を掴まされる感覚しか感られず、そこに至って、珪弥はやっと己が虚空に吹き飛ばされたことを理解した。
それに珪弥の頭は混乱をきたしたが、その混乱は直ぐに、その身を貫く圧倒的な落下感に奪われる。
「うわあああ!」
珪弥は、その圧倒的な落下感に、無様にも思わず声を上げてしまう。
やがて、木が砕ける音と共に、珪弥の全身を痛みにも似た激突音と、激しい衝撃が貫いた。
その衝撃に、珪弥の意識が遠のく。
だがしかし、珪弥は己の唇の端を噛み切り、無理矢理に遠のく意識を引き戻す。
珪弥が意識を戻して、見開いたその眸に映ったのは、黒い影に包まれたあの鎧羅が、空より火具土に降り落ちんとする様であった。
両脚の鍵爪を突き立て、虚空より降り落ちるその鎧羅の姿に、珪弥は咄嗟に火具土の右掌を地に着けて伸ばし、火具土の躯を返してうつ伏せに転がし、その攻撃を避ける。
間近で炸裂音が響く。
珪弥はその刹那、地に両の掌を着け、素早く火具土を起き上がらせた。
反動でよろめきながらも、珪弥はそれを利用して向きを素早く変え、火具土に左の腰に下げた太刀を抜かせる。
そしてその腕を、土煙に浮かぶその鎧羅の陰影に向け、伸ばした。
重たい金属同士が擦れる、独特の音を響かせ、火具土の馬手は、凄まじい速さでその鎧羅へと伸びる。
しかし、その鎧羅はぬっと土煙から一歩出て、弓手で火具土のその腕を払いいなす。
ぐらりと火具土は右側へよろめくが、珪弥はそれを更に利用して、勢いをつけ、今度は弓手を伸ばした。
風を切り裂く音と独特の音を混ぜ響かせて、火具土の腕は伸びる。
その鎧羅は馬手を返して、再び火具土の腕をいなそうとするも、あまりの速さに間に合わず、その不自然に広がった手首を火具土は貫いた。
その鎧羅の腕が貫き、破壊されるその光景に、珪弥の裡で沸々と高揚感が湧き上がってゆく。
珪弥はそのまま、それを貫いた左掌を開き、その鎧羅の脇腹を掴む。
その鎧羅は残された弓手で、火具土の弓手を掴み、何とか引き放さんとする。
それに珪弥は、右掌に握らせた刀を捨て、大きく頭を振って、馬手を伸ばした。
その鎧羅はそれに気づき、今度はいなさず、火具土の右掌に己の左掌を絡ませる。
再び、がっちりと互いにつかみ合う形となった、二柱の鎧羅。
珪弥はその鎧羅を睨み付ける。
その鎧羅も、怪しく歪む赤い双眸で珪弥を睨む。
珪弥はそれに、躰を貫くような、強烈な高揚感を覚える。
嗜虐的な光が一瞬、珪弥の瞳に光った。
「哮雄雄雄雄雄雄雄雄雄!!」
堪えきれないような、珪弥の叫びが響く。
それに呼応するように空気が、
オオオオオオオオオオォォォォォォォ!!
揺れた。
震動が辺りに広がってゆく。
木々が、山が、闇夜が、凡てが震える。
そして、珪弥の凡ては、閃光に没した。
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