異常な事態となった。
 珪弥を中央に、雪奈と乎岳が男部屋で、サヤを連れてきたあの異様な連中、戒道信也と他四人が差し向かいで座している。
 戒道信也の話だと、老僧は冥院時雨という上僧であるらしい。
 そして、大男と髑髏男は、噂の四性鬼の二体で、大男が金鬼、そしてあの髑髏男が隠形鬼という鬼らしい。
 その男達は信也を中心に、右に時雨上僧、金鬼と並び、左には俯いたサヤ、そして隠形鬼が座していた。
 二組の間は、二間ほどで、珪弥達は出入り口の板戸を前に、信也達は奥の壁を背にしている。
 何ぞあっても、そう易々とは逃げられない状態だ。
 更に、外では兵が、太刀や槍を手に控えている。
 ただ、包囲されている当の本人には自覚が無いのか、何か策があるのか、その貌はまったく落ち着き払っており、余裕すら感じる程だ。
 寧ろ、追い詰められた様な貌をしているのは、珪弥の方である。
 右に目をやると、雪奈も強張った貌をしているのが見えた。
 対して左の乎岳は、訝しげな表情をしている。
 緊張感が辺りを占め、二組の間に沈黙が溢れた。
 その沈黙を破ったのは、張りのある信也の声である。
「まずは、燎珪弥様に拝謁して頂き、御礼を述べさせていただきます」
 信也はそう言うと、両の手を付いて深々と頭を垂れた。
 そして、そのまま変わらぬ張りのある声で、言葉を続ける。
「つきましては、我が愚父、戒道信一郎の近縁とはいえ家督預かりなる不遜な行為、愚父に代わりここに謝辞を申し上げ奉る」
 信也はそこまで一息で言うと、すっと面を上げる。
 その言葉に、乎岳は一層訝しげに眉根を歪ませ、「それで」と不機嫌そうに言った。
「それが、いったいサヤ様を拐した事と、どう関係があるのでございますかな?」
 厳しい乎岳の声が響いた。
「流石、朱芭乎岳殿!噂どおり、生半なキレ者ではございませぬな」
 乎岳の言葉に、信也は笑みながらそう答えると、「詳らかにお話致しましょう」と言い、珪弥を見据えた。
「こうしてサヤ様を伴って拝謁させて頂いたのは、乎岳殿がお察しのとおり、一つ珪弥様にお願いがあってのことでございます」
「攫った上に、盾に使っておいて何が願いか!?」
 突如、信也の言葉に激昂した声で、床を叩きながら雪奈が叫んだ。
 それを乎岳が、「雪奈殿」と名を呼び、諌める。
「失礼した、しかし、雪奈殿が激昂するのは至極当然の事、実に私も同じ想いである。だがしかし、未だ珪弥様が黙しておられる故、手出しは致せぬ、それを踏まえた上で、その願いとやらを語って頂きましょう」
 そう喋る乎岳の声は、非常に険の立った、先程よりも厳しい声であった。
 それに信也は、乎岳を見て「これは怖ろしい」と笑んで返し、再び珪弥を見る。
「では、悪戯にお時間を取らせても致し方ありません、お求めどおり私の願いをお聞きして頂きましょう」
 そう信也は言い、笑みを消した。
 乎岳は信也を睨む。
 睨まれた信也は、珪弥に視線を向けたまま、睨む乎岳には一瞥もくれず、更に続けた。
「願いと言うのは他でもありません、珪弥様には是非、藤原千方を討ち、出来るならば我が愚父、戒道信一郎を斃して頂きたい」
「なに、そんなことは!」
 信也の言葉に、雪奈がまたも叫ぶ。
「そう、そのようなことは、お主等に言われるまでも無い事である。我等は珪弥様が燎家の家督を正式に得る為に、先代の仇、藤原千方を討ちに来たのだ。家督を身勝手に奪った、戒道信一郎に対しても然り!サヤ様を拐す労力を使ってまで望むことではない」
 乎岳がそう雪奈の二の句を代して言い、最後に「それとも、その様な事も判じぬ程度の者か?」と、信也等を見渡し加えた。
 信也はそれに笑む。
「やはり、それだけではないな」
 乎岳が、声を低くして問う。
 それに信也は「左様、お察しのとおりでございます」と答え、深々と頭を垂れた。
 そして、面を上げると乎岳を見据えて言う。
「ただそれには少し順を追って、説明せねばなりませぬ。暫しお時間を頂きたいが、珪弥様如何ですかな?」  そう信也は視線を、乎岳から珪弥に移し、問う。
 不意に問われた珪弥は一瞬、吃驚とするが「い、いいでしょう」と僅かに吃りながら応えた。
 それに、信也は珪弥を見、「ありがとうございます」と謝辞を述べ、滔々と語り始めた、己が事を。
 珪弥はそれを、複雑な面持ちで聞いていた。


 戒道信也は実父、戒道信一郎によって、約八年前に藤原千方の元に召し出された。
 これは、もし千方が朝廷を打ち負かし、この大和の国を統べる時あればと思ったに他ならない。
 我が子を贄として捧げ、その後の安寧を手にせんが為の事である。
 だが、男子など本来は贄にはならぬものだ。
 しかし、戒道信一郎には他に子がおらず、贄としての役割は多少弱いながらも充分であった。
 そしてその弱さを、情報というもので補っていたのだ。
 戒道信一郎は朝廷側に潜む、諜報役として暗躍していた。
 だがこれも、戒道信一郎の、真の思惑ではない。
 もし、朝廷が本腰を入れたならば今度は逆に、千方の情報を朝廷に流す腹積もりであるからだ。
 そして、どちらが勝ってもその後の甘露を貪り、安寧を得る為に、戒道信一郎は実子、戒道信也を贄にしたのだ。
 その為、戒道信也は父から藤原千方に取り入り、裡々に潜り込むように言われている。
 実際それは叶い、策士として、かなり千方に目を掛けられていた。
 それは、四性鬼の指揮を任せられる程である。
 だが、戒道信也はそんな父、戒道信一郎にも、そして仕えてる藤原千方にもその心を許してはいない。
 戒道信也が求めるのは、そしてその真意はただ一つである。
 それは、


「では、贄として隷に徹していた恨みと、実父に贄にされた恨みを我等、否、珪弥様に代わりに討ってもらいたいと言うのですかな?」
 朱芭乎岳は訝しげにそう聞いた。
 珪弥は、信也の貌を見る。
 信也の貌は真剣で、真直ぐに珪弥を見据えていた。
 その姿勢は、珪弥に真意を語ってるように見える。
 だが、乎岳は疑ってる様だ。
「ほう、お疑いですか?」
 信也は、珪弥からその視線を乎岳に移し、そう問う。
 それに乎岳は「当然ですな」と、静かに答えた。
「お主が申したのは、あくまで己の状況のみ。それを聞き、我等がどう思うかを予測し、恰もお主がそう願ったかの様に、我等に錯覚させただけのこと、嘆願とは言えませぬな。それに、それでも尚サヤ様を拐した事の説明にはなりませぬ」
 乎岳は更に、そう付け加えると、床板を一度叩いた。
 そして、「我等や、珪弥様を謀ろうなど、笑止!さあ、本心を詳らかにせよ!」と、凄んだ。
 それに、信也は黙したまま俯く。
 再び、二組の間に沈黙が流れる。
 その沈黙を破ったのは、またも信也であった。
 信也は顔を上げると、珪弥達を見渡す。
 そして、珪弥の前で視線を止め、突如、呵々大笑した。
「流石でございますな、乎岳殿!左様、我が真意は他にある!」
 一頻り笑った信也は、そう叫び、笑んだまま乎岳に視線を移す。
 珪弥はその顔に、邪な影が射した気がした。
「だが、凡てが凡て、騙りではない。藤原千方を討って頂きたいのは事実であるし、同時に我が愚父、戒道信一郎を斃して頂きたいのも事実。ただ、その先がございまする」
 ぐるりと珪弥達を見渡しながらそう続けた信也に、乎岳が「ほお、その先とは?」と、険のたった声で問う。
「何、簡単な事でございますよ、千方を討ち、我が愚父を斃し、家督を得たならば珪弥様は、我が愚父に代わり、帝との間者となっていただきたい」
 その問いに信也は笑みながらそう答え、「もちろん、私の為に」と、最後に加えた。
「巫山戯るな!」
 やはり激昂したのは雪奈だった。
 雪奈は叫びながら、脇に挿した太刀に手を伸ばす。
 それに、乎岳が手を翳し、制する様にすると「早まりなさるな、雪奈殿」と諌めた。
「しかし、雪奈殿でなくとも、お主の言葉に激昂は必死。如何にサヤ様を押えておるとはいえ、ここは我等が領域、その言葉を口にした時点で、無事ではすまぬことをご理解しておろうな?」
 そう付け加えると、きっと睨む。
 それに呼応するように、雪奈が膝を立てる。  
 だが信也は、その笑みを崩さない。
 珪弥は訝しんで、その貌を見た。
「おお、怖ろしいことだ。では、私共も、仕掛けを見せる時ですな」
 信也は笑みながらそう言うと、サヤを見て頷く。
 サヤはゆっくりとその顔を上げると、単の裾から小太刀を抜き、自らの首に当てた。
 珪弥達はそれに、ほぼ同時に驚愕した声をあげる。
「ここに居りまする冥院時雨上僧殿は、傀儡の術なるものを心得ておりまする故、このようなことは造作も無い事」
 信也は、珪弥達の声にそう返し、掌で時雨を指して、乎岳と雪奈を見た。
 それに、雪奈は憎々しげに太刀から手を離し、足を直す。
 信也はそれに一つ頷く。
「珪弥様が家督を得、我が願いを承諾して頂けたならば、帝も同じく傀儡に落とし、私がこの、大和の国を統べてみせましょう」
 信也はそう言い放ちて、笑んだ。
 それに対し、乎岳は苦々しい貌で「無理だな」と返した。
「仮令、サヤ様の命を盾に使おうとも、それは使えぬ盾。もし、サヤ様の命が尽きたのならば、その身に刃が容赦なく突き立つのは判っておろうな?」
 乎岳はそう憎々しげに、信也に対して言い放ち、「出来るものならばやってみるがいい!」と加えて叫んだ。
 その言葉に、信也は再び大笑した。
「命など使わぬとも、指の一本、眸の一つ、どこでも好きなところを絶てば、充分に事は足りる。首に宛がわせたのは、判り易く見せただけのこと」
 信也は笑いながらそう言い放つと、珪弥を見た。
 そんな信也を、乎岳と雪奈は、激昂を顕にした貌で睨んでいる。
 だがその時、珪弥自身は妙に冷静であった。
 否、冷静というよりも何か、心中で弾ける寸前の様な、拮抗した静かさである。
 緊張とも集中とも言えぬような、不可思議な状態であるが、珪弥はその感覚を知っていた。
 それは、火具土を操っている時と同じものだ。
 高揚感を越えた後、神火を放つあの瞬間の、高ぶりと冷静さが折り重なり、交じり合った感覚である。 
 珪弥はそんな心を抱え、信也を見た。
「ああ、そう言えば当然、サヤ様は生娘ですな?」
 そんな珪弥を見て、思い出したかのように突如、信也はそう問うた。
 そして、更に口角を歪めて笑むと、「ならば、それも使えますな」と加える。
 その言葉に、珪弥の裡で、終に、何かが弾けた。
 湧き溢れる熱い”ソレ”に、珪弥の心が染まる。
 その刹那、珪弥は、サヤの虚ろな貌を見た。

            *         *         *

 珪弥が最初に感じたのは、布の感触だった。
 丁寧に織り込まれた幾層もの糸が、はらりはらりと簡単に断ち解れてゆく。
 次は皮。
 ぴんと張った張のある皮膚が、刃を少し押すが、直ぐ様それは断たれ、刃を裡へと誘った。
 次に感じたのは肉。
 柔かく、纏わり付く様な、まるで、餅に太刀を振り下ろした感触にも似るそれであった。
 そして、筋。
 布よりも細かく、そして布よりも強く張り巡らされたそれは、刃が触れると軽く押し返すも、直ぐ様断ち解れ、弦を断つように勢いよく弾けていった。
 次にやってくるは臓腑の感触。
 薄皮が破れると、肉と筋を合わせたような、歯切れの良い、乾きかけの餅を切るような感触であった。 
 そして、最後に骨。
 今までの感触で尤も固かったが、刃が当たると、砕けるような、削れるような不快な音を発てて、切れていった。
 それらの感覚が凡て、纏めて珪弥を激しく撃つ。
 布、皮、肉、筋、臓腑、骨、布、皮、肉、筋…。
 それが、珪弥が最後に感じた、サヤの感触であった。
 やがて珪弥の腕が、空を斬る感覚を伝え、己が太刀が、サヤを斬り終えた事を告げる。
 目の前のサヤからは、紅が弾け、その姿を珪弥から隠す。
 サヤの凡てが、紅に隠れるその刹那、珪弥は見た。
 一瞬、その眸に光を取り戻したサヤが、声も無く珪弥を呼ぶのを。
 兄さまと…。

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