朱芭乎岳は不機嫌そうな顔を、更に不機嫌にさせて悩んでいた。
 乎岳を悩ませていたのは、どうしようもないことだ。
 端を発するのは当然、燎サヤが攫われた事と白塚奈嘉背の死である。
 これに対して、兵たちの間に、仇討ちに進軍の声が上がっているのだ。
 だが、相手が判らぬ以上それはどうしようもない。
 ここは、武士が集う陣である。
 鎧羅が立ち並び、太刀を携えた武人が裡には居るのだ。
 そんなところに忍び込んで小娘一人、拐す様な危険を冒すのは、山賊、盗賊の類ではない。
 明らかに、何かしら組織的な者の、目的を感じる。
 そして何よりも、奈嘉背が斃された事が大きな証拠だ。
 奈嘉背は強い。
 その強さは尋常ではない、伝説、伝記に登場する武人でもなければ、敵わないのではないかと思える程だ。
 それを山賊、盗賊風情が斃せるとは考え難い。
 而して、その組織が何であるか、何を目的としているのかが、判らない以上手の出しようが無いのだ。
 だが、内部の傾向はそれとは逆に、報復を求め、進軍を求める声が上がっている。
 そしてそれは、不協和音を奏で始めていた。
 そもそも、ここに集まった兵は、白塚家の臣下が殆どだからだ。
 白塚家が如何に、燎家に仕えていようとも、主の主人など、下臣下にとっては雲の様な存在である。
 そんな実態も無い存在、しかも、まだ正式に家督を継いだわけでもない幼い少年に、従えというのは無理というもの。
 だから、それまでは奈嘉背が間を取り持ち、燎家、否、燎珪弥との関係を潤滑にしてきたのだ。
 だがしかし、その奈嘉背が死に、やっと芽生え始めた主従関係に、不協和音が生じているのである。
 だから、奈嘉背に代わって、勤めていたその役目を移された乎岳は、懊悩していたのだ。
 そんなことを熟熟と考えてた乎岳が、両の腕を組みなおし、悩だ貌で唸った時である。
 突然けたたましく板戸が開かれ、乎岳の居るこの男部屋に、一人の若い兵が入って来た。
「朱芭殿!その、サヤ様が、門の、妙な男と!」
 男は乎岳が聞く間もなく、矢鱈と慌てた様子で、支離滅裂に叫ぶ。
「何がどうした、落ち着いて話せっ」
 乎岳はそんな男に一喝し、落ち着かせる。
 男はどれに呼応するように、咽喉を鳴らし唾を飲み込むと、呼吸を整えて話し出した。
「あのお、攫われましたサヤ様が、妙なというか、異様な男達に連れられ、今、門前に来ておるんです」
「なに?ど、どう言うことだ?」
 今度は、乎岳の方が混乱した。
 まったくの、予想外の出来事である。
「はあ、何でも、ここの長と話をしたいと言って、サヤ様を連れているわけですが、拙者には何がなにやら?」 男は乎岳の問いにそう答え、「それで如何致しましょう?乎岳殿?」と、乎岳に指示を仰いだ。
 乎岳はそれに「判った」と答え、一呼吸吐いた。
「ともかく、珪弥様を門前にお呼びしろ、私も今から行く」
 乎岳は男にそう指示をすると、立ち上がった。
 その男はそれに、「判り申した」と答え、乎岳と共に部屋を出る。
 初夏の青空の中、騒然とした声が響いていた。


 若い男に呼ばれ、門前で朱芭乎岳と共に、珪弥はそれを見た。
 それは異様な光景である。
 門を開けたそこには、少女―――――燎サヤを先頭に、右に束帯姿の若い男、左には豪華な袈裟を纏った老僧、その後に筋骨隆々で浅黒い肌を持った大男が居り、そしてその隣には、手袋や足袋まで真っ黒な、全身黒装束で身を纏い、その顔には髑髏の仮面を付けた、あの男が居たのだ。
 異様としか言いようが無い、取り合わせである。
 珪弥はその光景に、声も出ない。
 それは殆どの者がそうらしく、皆一様に吃驚して、その五人を見ていた。
 二組の間に、暫し沈黙が流れる。
 その沈黙を破ったのは、雪奈だった。
「何用だ!」
 勇ましくそう叫びながら、珪弥の後方から割って入った雪奈は、その視線をぐるりとその五人に廻し、あの髑髏男の前で止めた。
 雪奈は、厳しい視線で髑髏男を睨む。
 乎岳は、その雪奈の言葉につられ、やっと我を取り戻した様に、ふっと一息吐くと、声を張ってその異様な男たちに向かって言う。
「左様、そちらは何者で、何故に我等が主、燎珪弥様の妹君、燎サヤ様をお連れになっておられるのか!?そしていったい何の用があるのか!?」
 乎岳のその問いに、束帯姿の男が一歩前に出る。
「ここの君主、燎珪次郎様、否、今は燎珪弥様ですな、その珪弥様にお話をしたく、失礼ながら妹君、サヤ様を連れ、参った次第でございす」
 乎岳の問いに、束帯姿の男は慇懃にそう応えながら、猛禽類の様なその鋭い目で珪弥を見据えると、「私は戒道信也と申します」と加えた。
 戒道という姓に、皆がどよめく。
 そのどよめきの応えるように、その男―――――戒道信也は言う「そう、私はあの、戒道信一郎の実子ですよ」と。

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