ABOUT‐THE‐STORY
始まり

20××年、都内郊外。
約20ヘクタールもの広大な土地を持つ城南大学は実験中の事故により、校舎、病院施設、居住施設を含む全23棟の内、実に17棟が倒壊し、死者18名、重軽傷者250名にも及ぶ惨事になった。
3ヵ月後、警察および消防関係の事故調査により、故意と断定。
この調査より2ヵ月後、事故の中心地であった、第23実験室にて唯一の生き残りである真田龍彦教授を犯人として正式に逮捕。
一月後裁判がおこなわれるも、件の真田龍彦は事故の怪我により視力聴力以外の自由を失い、生命維持装置一式を着けた状態での、異例の出廷となった。
半年の裁判結果、瞬き以外のコミュニケーションが不能である状態にもかかわらず、判決は死刑。
2年後、警察病院にて生命維持装置除去による死刑を執行。
そして、それから一月後。

斗槻隆志は城南大学再建にまつわる、地元業者と自治連との癒着を追っていた。
その資金流通を知る、業者側の税理士に逮捕状を正式に適用(別件だが)し、彼を相棒で高校から親友の滝村隆二と逮捕に向かった。
しかし、逮捕状を出された時点で件の税理士は逃走。
斗槻はそれを追いかけるが、その途中倒れ、そのまま死んでしまう。
斗槻は遺伝的に心筋の弱い身体であり、それは例えるならヒビ割れたゴムの様で、急激な運動にとても脆い。
そのため、2、30分程走っただけにもかかわらず、斗槻の心臓は簡単に破裂しそのまま死んでしまったのだ。
病院に運ばれた時には、既に脳波も止まり、2時間後には担当医師により、正式に死亡診断書が作成された。
高校時代から一緒にいた、婚約者の立花涼子は声もなくその様子を見つめていた。

死亡診断書が作成されたのが夜遅かった為、後日、斗槻の葬儀が行なわれる事になり、既に斗槻の両親も彼と同じように他界していおり、喪主は立花涼子が行なう事になった。
翌日午後、隆二が涼子の代わりに、斗槻の遺体を葬儀屋と共に受け取りに行ったが、問題が起こった。

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