火具土
皇が神代より所有すると謂われる、超常なる力を宿し最古の鎧羅達、『神宝十鎧器』の一つ。
まさに、本当の”神器甲鎧羅”と呼ぶに相応しいモノである。
後に神宝十鎧器は近衛七士に一柱づつ託され、それぞれ社に奉納された。
それは火具土も同じであり、この火具土は燎家に託されたのだ。
しかし、他の神宝十鎧器と違い火具土は、決して、燎家が袂より離さず、永劫護りぬくことを約束された。
だがその命は、燎家にとっては禁忌と同義であり、口伝として伝えることすら憚れ、幾度かの遷都の変更で、すでにその行方は杳と知れなかったのだが…。
奈嘉背は驚愕した表情を見せた。
「か、火具土だと!」
思わず奈嘉背は叫んでいた。
奈嘉背は知っていた、この蒼朔が言うそれを。
口に出すのも憚れる、畏れ多くも皇より”受け賜りし”鎧羅であると。
「そう、その火具土の在りし処、これを珪次郎様に伝えたく…」
蒼朔は弱々しく、消え入るようにそう言った。
大量の木片、いや最早、材木と言った方が良いくらいのものに圧し潰され、虫の息である。
奈嘉背はそんな蒼朔に、さらにその耳を近づけた。
蒼朔の弱々しくも早い息が聞こえる。
その弱々しい息の合間に、奈嘉背は蒼朔の言葉を確かに聞いた、「大和、旧家跡」と。
奈嘉背はその言葉に、目を見開くと、上体を起こした。
その顔は明らかに驚いている。
だが驚いていたのは意外だからではない、むしろ、あまりにも”あたり前”すぎたからであった。
燎家の歴史は、朝廷の歴史と同じと言って過言ではない。
そもそも、燎家は神武天皇の随者の一人で、八咫鴉の化身とされる。
先んじて導くものとし、害有るモノを退け均し、道を整える役割をもっていた。
近衛七士と呼称される以前からの眷者であるがゆえ、遷都が移ればそれに追従するのは当然である。
ただ、大和(奈良)の遷都地は数度場所を動いているが、余りに近いため、元来の地よりは移らなんだが、現在の山背(京都)に移るとそうもいかず、居を移んだ。
だが、それには件の火具土を移すというのは見られなかった。
もちろん、火具土が白日に曝されれば、燎家最大の禁忌となる。
だから、知らないのは仕方がないと奈嘉背は思っていた。
だがそれが、移動されずに未だ旧家にあると。
奈嘉背は言われて気がついた。
白日に曝す危険を考えればそれもあるであろうと。
しかし、関心をしている暇はなく、目の前は既に、珪次郎が破った戸口を残して天井からのびる焔が囲っていた。
奈嘉背は再び床に刺した太刀を逆手に持ち、引き抜くと軽く目を閉じる。
そして、すっと切っ先を蒼朔の額に向けた。
それに気づいたのか、はたまた伝えることを全て伝えたから、蒼朔は安らかな顔をしている。
少なくとも目を開いた奈嘉背にはそう見えた。
奈嘉背は笑ってるのか悲しんでいるのかわからない貌をし、ぐっと刀を降ろす。
鈍い音がした。
揺らいでいた。
それは陽炎による所為だけではない。
実際に揺らいでいた。
焔という獣の腹の中では、小さな山寺など無いに等しい。
―――ああ崩れる…。
雪奈はなぜか褪めていた。
目前にいる少女―――――燎サヤの所為だろうか。
見れば、これほど焔の傍にいるにも拘わらず、サヤは汗もかかず、真っ青な貌で小刻みに震えていた。
もちろん寒いわけではないが、それは凍えているようにも見える。
ここまで恐れるサヤの姿に、雪奈は褪めたのだ。
だがしかし、自らの父もこの焔の中にいるのだ、さしてサヤと状況は変わらない。
それでも、なぜか褪めていた。
唯一の肉親である父が、焔の中へ珪次郎等を助けるために入っていくのを見た、その時は確かに狼狽したが、それも父を心配したからかどうかわからない。
いや、違うだろう、もし戻らなかった時の”その後”を心配したのだ。
サヤの艶やかな長い黒い髪が、焔の前で妙に映えてる。
禿を揃え、襟足を酷く短く刈り上げた自分とは違うな。
雪奈はサヤの後姿を見つめて、そんなどうでもいいことを考えていた。
その時であった、何かが山寺の裏―――と言っても、最早その判別も出来ないほど暈やけているが―――から、なにかが弾け跳ぶように跳びだしてきたのは。
それは木端を辺りに撒き散らしながら、木板と共にその場に転がった。
転がり出たそれは、暫らく転がりながら、焔を遠ざけ、そのまま雪奈達に近付いて来る。
すっくと立ちあがるとそれは、土と煤に汚れた作務衣を纏い、袖口で煤けた顔を拭う。
自分と同い歳くらいの少年である。
「兄さま!」
サヤが叫んだ。
珪次郎である。
瞳が大きく、黒目が多いその顔は、まだ男女とも区別できぬ幼さがあった。
ましてや、長い髪を今は御ろしている。
まるで少し背の高いサヤのようだ。
珪次郎は走り寄るサヤに近付き、その頭を抱きとめた。
その姿に、雪奈は顔を叛ける。
焔で照らし出された二人は、ほとんど同じ顔で、雪奈には何か”見てはいけないような気”がしたのだ。
そして、山寺が崩れた。
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