「ここで間違いないはずです」
奈嘉背は火傷後の残る手で、無精髭雑じりの顎を擦ってそう言った。
ここは大和、国栖にある旧燎邸跡。
吉野川上流にあり、旧藤原宮から宇治間山の先にある。
最早そこには建物らしきものは無く、鬱蒼と草が茂り、どこまでが元々の敷地だったのか判別できない。
目を凝らせば、要石らしき物が点々とあるのが見え、辛うじてここに何かがあったことを感じさせた。
二箇月程前、奈嘉背は何とか焼け落ちる、蒼朔の山寺―――――青海寺から逃げ果せた。
そして、取るものもとりあえず、都を経由し、ここ大和に来たのだ。
都を経由したのは、協力者等から、物資を調達するためである。
また、火具土の在り処を得た、その報も伝えた。
早いかとも思われたが、これからのことを考えればそれも必要に感じたのだ。
これからのこと、それは”燎珪次郎による、燎家の家督奪回”。
そもそも、青海寺に身を隠したのは珪次郎の父、謳珪が死に、家督を義叔父、戒道信一郎が預かり役として堂々と現燎邸に乗り込んできたことに端を発する。
戒道信一郎は強欲な男で、予てより燎家の地位を欲していた。
そこに謳珪、そして嫡男珪顎の死である。
当然のように、火の速さで乗り込んできたのだ。
そして、預かり人というかたちで、家督を奪った。
こうなると、唯一の障害は残された次男、珪次郎である。
それに危惧した奈嘉背が珪次郎等を、青海時に隠したのだ。
十八歳になれば、正式に家督も降りる。
だが、それには障害があった。
家督公事云々ではない。
むしろ、そうなれば珪次郎に正式に家督が降りるはずである
だが、戒道信一郎がそれを許すはずはない。
これがその障害である。
その証拠に、珪次郎が十八を迎えるまでほぼ一年というこの時期に、身を寄せていた青海寺から焼きだされたのもおそらく、戒道信一郎の計略であろう。
だが、だからといって端的に戒道信一郎を討てば、身内の乱事となり、燎家の名は地に堕ちる。
打破出来るのは、何か立派な手土産を持って、堂々と家督を奪い返すことだけであった。
つまり、父兄の仇、藤原千方を討ち、十八で堂々と自家に帰ることである。
その為にも火具土が必要だった。
それに加え今は、戒道信一郎が放ったと思われる、何者かの追っ手を退けるのにも、火具土は必要だ。
そう、珪次郎様に力を。
奈嘉背はざくざくと草を踏む音を発て、一際大きい要石の前に立つと、「珪次郎様こちらへ」そう言い、後ろを振り返る。
奈嘉背の視線の先には、大きく黒目がちな眸に厭というほど通った鼻筋、細い顎、下ろした長い髪と相まって、まるで少女のような少年―――――燎珪次郎がいた。
そして、その脇に彼をそのまま一回り小さくしたような少女、燎サヤが寄り添うように立っている。
二人はやや憔悴している様で、表情に明るさが無い。
その所為か二人は奈嘉背の促す方へと、重い足取りで進む。
奈嘉背はそれを見送ると、視線を上げ、「後は頼んだぞ雪奈!」と大きな声を発した。
その先にはまるで、巨大な白い獣がいた。
姿は青い鎧を纏い、立ち上がった白い狼のようで、蛇腹状の腹部、節の付いた長い腕がそれを鎧羅だと判らせる。
その鎧羅は、地に付けた拳を離すようにすっと立つと、虎脚を器用に動かして奈嘉背に背を向けた。
奈嘉背はそれを見送り、踵を返して珪次郎を追う。
そして、戸惑うように要石の前で立ち竦む珪次郎の脇に立ち、ぐるりと辺りを見ると、左を向いて少々逡巡して小走りにそちらに向かった。
「話によればこちらに二対蔵があり、弓手には貯蔵、馬手には―――鎧羅のあった―――鎧蔵があったと言われています」
奈嘉背はそう言いながら踵を返し、珪次郎を見た。
そして視線を落としながら、「ですから、火具土があるならばこの鎧蔵の辺りではないかと…」そう語尾を濁しながら言い、顔を顰める。
それに対して、珪次郎も困惑の貌を宿しながら、奈嘉背に近付いていく。
その距離が残すところ数歩となり、それに気付いた、奈嘉背が顔をあげる。
その時である、木々が激しく揺れ動く音が響き、それが現われたのは。
珪次郎にしがみ付くようにして、サヤがか細く吸い込むような悲鳴をあげた。
珪次郎は幾分、疲弊していた。
あの焼き討ちから二箇月余り、都を経由し、山河を渡りここまでの旅路、簡単なものではない。
だが、それは奈嘉背や雪奈、都から加わった三人の従者―――尤も、今三人は山道出口で控えてるが―――の方が辛かろうとは思う。
長い山道に加え、昼夜を問わず追っ手からの襲撃に気を張っているのである、当然だ。
だが、珪次郎もここ二箇月余りほとんど眠ることも無く、喰う物も余り喰わずにいた。
それと言うのもやはり、あの火事が尾を引いている。
あの時、奈嘉背は蒼朔僧正のことは、自らに任せて欲しい旨のことを言っていた筈だ。
だが、火に塗れ出てきた奈嘉背は、蒼朔僧正を連れてはいなかった。
それどころか、その袖口には。
だけれども、後々考えれば蒼朔僧正はあのままでは助からないことは目に見えていたし、何より親代わりという意味では、奈嘉背も同じである。
むしろ、実父―――――謳珪が生きていた頃も合わせれば奈嘉背の方が遥かに長い。
だがそれでも、それだけでは割り切れぬモノがある。
その蟠りはいつまでも、珪次郎の心に溜まり、心だけではなく身体にも表れていたのだ。
それはサヤも同じで―――これ自体は話してはいないが―――蒼朔僧正の死は、サヤに何かしらの疵を与えたようである。
事実、珪次郎の記憶にあるサヤは、もっと活発であった筈だ。
しかし今は、眉を八の字に下げたまま、終始珪次郎の傍を離れない。
向こうで奈嘉背が呼んでいる。
珪次郎はちらりとサヤを見て、奈嘉背の言葉に促されるように歩を進めた。
後ろで鎧羅独特の鉄が軋む様な音がして、奈嘉背がその鎧羅―――――白狼に向けて叫んだ。
そして、奈嘉背は二人を追い越すと、大きな石―――要石と言う話だ―――の前に立ち辺りを見渡すと、自らの弓手に向き、そちらに小走りに向かった。
両手を少し広げ、奈嘉背は「話によればこちらに二対蔵があり、弓手には貯蔵、馬手には鎧蔵があったと言われています」そう言い、珪次郎体に向き直る。
それから、「ですから、火具土があるならばこの鎧蔵の辺りではないかと…」と付け加えて難しい顔で、右下を見た。
珪次郎としてはそう言われたところでどうも出来ない、そもそも火具土のことは良くは解らない上、朝廷由来の神なる鎧羅と謂われても、いまいち実感がわかない。
珪次郎は困惑しながらサヤと共に向かう。
その時である、木々を激しく揺らし、何か巨大な黒い塊が、奈嘉背の背後より現われたのは。
サヤのか細い悲鳴が聞こえた。
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