雪奈は鎧羅―――――白狼の中から遠くを凝眸していた。
白狼を透して視る景色は綺麗だ。
雪奈は視線を林道に移し、僅かに後を見る。
そこには少年と少女―――――珪次郎とサヤ、それに雪奈の父である奈嘉背が見えた。
雪奈は奈嘉背の言いつけどおりに、白狼の中で見張り役をやっている。
火具土という神代期の鎧羅を見つけるらしい。
それまで、追っ手が来るかもしれないということで、見張りをしているのだ。
しかし、そんなものに、雪奈は興味が無かった。
それよりも、どうでもいい事を想う。
気分が良い。
雪奈は鎧羅が好きだ。
否、
鎧羅に乗っている時が好きなのだ。
特にこの白狼に。
白塚家継承だからとかではなく、この白狼自体が好きなのだ。
雪奈は女性であるが、武士然として育てられた。
それは偏に、奈嘉背が他に子が生せなかったからに他ならない。
母、白は産後の肥立ちが悪く、そのまま他界した。
らしい。
雪奈には実感が無い。
物心が付いた時にはもう亡かったのだから、当然といえば当然である。
その後、父は母を想ってか後妻を娶らなかった。
その所為か、雪奈は大切に育てられたのだと、自分でも思う。
だが、それは凡そ世の娘らしくとは、離れていた。
そう、武人として育てられたのだ。
ゆくゆくは家督を継ぎ、父に代わって燎家を補佐する武人として。
今考えれば、それはおかしい事だと思うが、幼い頃は何も感じはしなかった。
しかし、成長につれ、やがて肉体は女に成ってゆく。
体躯は幾ら経っても細く、思うように背は伸びない。
そして、やがて余計なところが張り出してゆき、あまつさえ経血まで出る。
武人になるように育てられたのに、武を志すには余りにも不得手な躰。
邪魔なもの、余計な苦しみ、痛み。
自らの、凡てが疎ましかった。
―――こんな、
―――こんな、変化要らないのに!
雪奈は、発狂しそうなそんな思いからか、それでも尚、武と家訓を強いる父に、諦観の念で従っていた。
だから、だからこそ、雪奈は鎧羅が、白狼が好きなのだ。
鎧羅は生き物ではない、当然女でも男でもない。
ただ戦闘をするための器物だ。
武を提示する或いは、力を示す道具に過ぎない。
それでもそれは人の容をしていて、裡に人が納まり、繊細に操ることで、あたかも生命があるように見せれる。
それはもちろん、生きてるとはいえない。
だが裡に納まる人は確実に生きており、裡と外と別けなければ、鎧羅もまた生きていると謂える。
そう捉えると、人の躰も己の意思―――――心によって動かすもので、鎧羅もまた乗る人の意思で動かしているのだ。
そこにいったい、どれ程の差があるのだろうか?
結局どちらも曖昧模糊としていて、はっきりとはしない。
ただ、やはり鎧羅は器物であって、生物ではないだろう。
何故ならそれは、鎧羅は死なないからだ。
死がなければ生もない。
それこそが、鎧羅が器物であるという証であろう。
だが、人も死ねばその肉体は、死体という物になる。
やはり、そこは曖昧なのだ。
生物でも器物でもなく、死んでもいなければ生きてもいない、もちろん女でも男でもない。
更に、白狼のその面容はまるで狼のようで、加えて虎脚だ。
だが人の容をしている。
最早、それは獣ですらない。
凡てにおいて均しく距離を持ちつつ、凡てであって凡てでないもの。
酷く曖昧であるそれは、即ち、凡てを超越しているとも謂い得る。
そして、その裡に在る間、雪奈は白狼になったような錯覚を覚え、己の肉体の疎ましさを忘れられるのだ。
だから、雪奈は白狼の裡にいるのが好きなのだ。
雪奈がそう自らのことを思い返し、少し笑んだその時、激しく木々が擦れる音が背後でした。
雪奈は繊細な手の指と腕の動きで、白狼を振り返らせる。
雪奈が振り向き見た、その先には黒々とした奇妙な鎧羅が二体並んでいた。
頭部の殆んどが膨れた目の様なもので、そこには横線が走り、その奥でわずかに赤い眸がちらついている。
そして、その躯はだらりと項垂れたように背を曲げ、肩や腰には、非常にぞんざいな感じで中途半端な垂れが引っ掛かっていた。
そのうえ、脚は膝からなんの為なのか見当も付かない変な板が突き出ていて、まったくもって強そうには見えない。
なんとも馬鹿馬鹿しい姿だ。
だがそれは、同じ視点で見える、鎧羅を透してのことで、実際に地に足を着けてみればその大きさだけで、怖ろしく見えるだろうと思う。
その証拠に、顔は見えないが眼の前で見上げているサヤは、腰を抜かしたようにへたり込んでいる。
先頭の鎧羅が右腕を振り上げた。
その刹那、雪奈は咄嗟に白狼を走らせる。
白狼は土を蹴り、最早跳ぶような姿で走り出す。
その重さに、盛り上がった土が跳ねあがり、ばらばらと音を発てて後方に飛び散った。
白狼は前屈みになりながら、掌を地に着けて更に駆ける。
黒々としたその巫山戯た姿の鎧羅は、振り上げた右腕を白狼に向けて放った。
独特の重たい金属同士が擦れるような音をあげて、その鎧羅の腕がぐうんと伸びる。
雪奈は小さく声を漏らすと、白狼の脚を止め、そのまま地を滑りながら向かってくるその腕を、白狼の左掌で受け止め、絡め獲った。
金属同士がぶつかり合う、重く甲高い音が響く。
その巫山戯た黒い鎧羅は、掴まれた腕を二、三度引き白狼を僅かに引き寄せようとしたが、雪奈は白狼を巧みに操り、逆にその鎧羅を自らの方へと引き寄せた。
否、最早それは引き上げたといった方が良い。
その鎧羅の躯はまるで、吹き上げられた小石の如く簡単に宙に舞った。
瞬間、雪奈は白狼の右腕を動かし、白狼の左腰に携えた太刀に手を掛けさせる。
その時、僅かに下を見た雪奈は、驚した様に眸を剥く。
そして、「はあ!?」と雪奈は思わず、気が抜けたような声を漏らし硬直した。
なんとそこにはまだ、珪次郎とサヤ、加えて奈嘉背までいたのだ。
サヤはへたり込んだままで、その上に覆いかぶさるように珪次郎が、そしてそれを何とか立たせようと、奈嘉背がその腕を掴んで未だそこにいた。
雪奈はその光景に、完全に硬直していたが、目の前に黒い影が広がり、その意識をはたと戻す。
はっと頸を捻り、雪奈は白狼に太刀を握らせた。
だが最早遅く、既にその視界は黒々とした鎧羅の背で占められ、太刀を抜く間など得られはしない。
その刹那、激しい衝撃と金属同士がぶつかる音が雪奈の全身を襲い、白狼がぐらりとよろけ倒れるのを感じた。
そして、何かが崩れる様な音がして、雪奈は妙な浮遊感を感じ、思わず「あああ…」と声を漏らす。
すると、突然突き上げるような激しい衝撃が雪奈を襲った。
あまりの衝撃に、意識が朦朧とする。
朦朧とする意識の中、雪奈は”それを”見た。
―――あれは、
―――あれは何?
何か”畏ろしいもの”を。
そして、雪奈の意識は没した。
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