雪奈はその異様さに硬直した。
 闇の中に浮かぶ髑髏。
 その髑髏は、意識を失ったサヤを肩に担いでいる。
 そして、それに対峙する珪弥。
 雪奈はそれに対し、吃驚したとも、混乱したともつかぬ顔で、硬直したまま凝眸している。
 異様な光景だ。
 その髑髏の存在自体が異様であることもそうだが、対峙する珪弥もどこか、現実離れしている気がした。
 それはこれほどまでに緊迫した貌をする珪弥を、雪奈は知らなかったからだ。
 僅かに、その髑髏が雪奈を見た。
 それに呼応する様に、珪弥も少し首を捻って視線を向ける。
 その僅かな隙を突いて、髑髏はサヤを抱えたまま踵を返して、走り出した。
 珪弥もすかさず後を追う。
 雪奈はそこでやっと我に返り、珪弥の後に続いた。
 その髑髏は、少女とはいえ人一人を抱えているにも拘わらず、尋常ではない速さで走っている。
 後を追う珪弥も雪奈も、ついて行くのがやっとだ。
 何故かその髑髏は、この敷地の出口となる木門を通り過ぎ、鎧羅が並ぶ方へと走っていく。
 木門は出入り口であるが、出て直に崖になっており、起伏のある馬一頭ほどの細い径を左に折れて、山道に入るようになっている。
 人一人担いで走り抜けるには、確かに難い。
 おそらく、この髑髏は真直ぐ敷地を抜けて、木塀を乗り越えて山道に入る腹積もりなのだろう。
 雪奈は必死で後を追った。
 少しでも差を詰めれば、木塀を登る際には、裾のひとつでも掴み取ることも可能だろうと思う。
 雪奈がそう思った時、その異変にやっと気が付いた。
 ―――珪弥がいない?
 今まで右横もしくは、少し手前か後ろにいた筈なのに、今はどこにも見当たらない。
 雪奈は走りながら、頭を振った。
 しかし、やはり見当たらない。
 雪奈は訝しむ。
 ―――何処へ、何をしている?
 平素より、己よりも大切だと憚らないような振る舞いである、実妹の一大事である。
 事実あの時、一も二もなく駆け出したのは、珪弥本人であったはずだ。
 それが、今は忽然とその姿を消している。
 木塀が近付く。
 あともう半間も走れば辿り着くほどだ。
 その時であった、雪奈の後方で喧騒とも怒号ともつかない野卑な声が近付き、直ぐ脇に実父―――――奈嘉背の顔が現われたのは。
 そして、地鳴りのように、玉砂利に鉄の塊を押し付けたが如き、独特の足音が響いた。
 雪奈は頭を振って、その音の方を見上げる。
 そこには、藍色に紅で炎を描いた躯に起伏の少ない、白い顎の尖った顔。
 そして、そこに走る、亀裂のように鋭利な赤い双眸と、恐ろしい雰囲気を際立たせるおどろ髪。
 その額には金色とも黄土色ともつかぬ、妙な色合いの鶏冠が見える。
 ―――火具土だ。
 雪奈は少しその姿に震えて、足を止めた。
 幾度見ても、畏ろしさが消えない。
 独特の足音を発てて、”それ”は雪奈に近付いてくる。
「奈嘉背殿!」
 火具土は珪弥の声で叫んだ。
 山間によく響く。
「あれが逃げます、一緒に」
 珪弥の声で、火具土はそう言うと、片腕を伸ばして地に付けた。
 地鳴りが響く。
 珪弥のその言葉に、雪奈は我に返ると、踵を返し再び髑髏の方を向いた。
 見れば、既に髑髏は、木塀の上に立っている。
 その足元には、野卑な男達が、太刀や棒を持って群がっていた。
 男達の怒号が響く。
 再び、独特の足音が響き、雪奈の脇を、腕に奈嘉背が掴まった火具土が抜ける。
 髑髏は怒号の中、一瞬火具土の顔を仰ぎ見、ふっと木塀の向こうに消えた。
 火具土もそれを追い、一足で木塀を越える。
 やがて、その後姿が山間に消え、木塀の向こうに没するのを、雪奈はただ呆然と凝眸していた。


 珪弥は火具土の裡で、逸りを抑えていた。
 山道を滑る様に走る。
 目の前には、木々と岩、赤土それに髑髏の面を被った男と、その肩に項垂れたまま担がれた少女―――――サヤの姿が見える。
 ―――もう一歩程で、その男に追いつくか?
 珪弥は逸る気持ちを抑え、火具土の歩を進めた。
 半刻ほど前。
 珪弥はその声に、言いいれぬ不安を覚え、走った。
 幽かな声である。
 風も無く、虫の声も無く、ただ月が煌々と輝くだけの夜に、ただ一人だったから聞こえたのだろう。
 珪弥は、その声に惹かれるように駆ける。
 竃小屋の裏手に躍り出た珪弥は、それを見た。
 闇に髑髏の顔を浮かび上がらせ、サヤを肩に担いだそれを。
 息を呑んだ。
 じりじりと珪弥は、その髑髏男との間を詰めようとする。
 髑髏男は動かない。
 更に近付いたところで、やっと髑髏男は片足を引いた。
 その時である。
 不意に足音が近付き、髑髏男の視線が珪弥から離れた。
 思わずつられ、珪弥もその視線を追う。
 雪奈であった。
 思わず珪弥は呆けた。
 髑髏男はその一瞬を逃さず、走りだす。
 珪弥はそれを目の端で捉え、同じくその後を追って走った。
 雪奈も、驚きながらもついて来る様である。
 珪弥は駆けた。
 何も考えることも無く、ただ一心に走る。
 髑髏男が木門を越えた。
 珪弥も木門の前に差し掛かる。
 通り過ぎようとしたその瞬間、珪弥の目の端にそれが映った。
 自らを呼ぶような、”それ”が。

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