その時奈嘉背は強かに酔っていた。
 酒精に染まった眸で、窓を仰ぎ見る。
 外には太陰が煌いていた。
 宴が始まってもう、十の刻は経とうかとしてる。
 もう子の刻も過ぎ、虫すらも寝る時分だ。
 だが、宴は一向に終わる気配は無く、燭台の灯りで照らされたこの板間には、相変わらず野卑な声で談笑が続いていた。
 己も含むことであるが、冷静に引いて見れば少々呆れる。
 まったく、用意した酒樽を、この一晩で凡て空ける気かと。
 ただ、今宵でこのような宴も、最後になるやもしれぬ。
 そう考えれば、好きなだけ飲ませてやろうとも思う。
 奈嘉背はそう考え、杯を呷った。
 ふうと、酒気を帯びた息を一つ吐く。
 その時である、不意に木戸を激しく打つ音が響いた。
 一同の談笑は騒然に変わり、そして、それに呼応して、木戸周りに居た者たちが腰を上げる。
 それと同じくして、けたたましい音をあげて、外から木戸が開け放たれた。
 皆、中腰の姿勢で、その開いた木戸を見る。
 そこには、肩で息をする珪弥の姿があった。
 皆が呆気にとられている中、珪弥が「賊だ!」とただ一言叫んだ。
 そして、木戸を開けたまま、踵を返して走り去った。
 皆、戸惑いの色でその姿を目で追うだけだ。
 だが、奈嘉背はその言葉に即座に反応し、刀を手に外へと躍り出る。
 その奈嘉背の姿に、皆やっと我に返った様で、野卑な声をあげて後に続いた。
 外に出た奈嘉背は、珪弥を追う。
 珪弥は月光の中で佇む、火具土の前に居た。
 そして、その後姿に向け、奈嘉背は「珪弥様、賊はどこです!?」と、叫んだ。
「男部屋の裏だ!雪奈殿がまだ追っている!」
 珪弥は振り返りもせず、そう叫び答えると、火具土の裡へと消えた。
 奈嘉背はそれを聞くと「解り申した!」と応え、踵を返す。
「皆、行くぞ!」
 奈嘉背は踵を返しながらそう叫ぶと、走り出した。
 それに、平屋から出てきた男達は、口々に勇ましい呼応の声を上げて、奈嘉背の後に続き走り出す。
 荒だたしい足音と怒号が響き、その後方では、火具土の動く音が響きわたる。
 奈嘉背が平屋の裏手に回ると、確かに雪奈の姿があった。
 そして、その先に黒いヒトガタの塊が見える。
 その黒いヒトガタの肩には、何か白いものが担げられているのが見えた。
 ―――あれは、サヤ様?
 奈嘉背は驚きを顕にした貌をする。
 それと同じくして、後方から驚きとも怒りともつかない声が上がった。
 どうやらそれに気づいたのは、奈嘉背だけではないようだ。
 その声に雪奈が少し振り向き、奈嘉背に気づいたようである。
 そして、雪奈はそのまま頭を振って、火具土を見上げ、その足を止めた。
 何かに憑かれた様に、雪奈は震え、固まっている。
 奈嘉背がそれを追い越そうとした時である、「奈嘉背殿!」と珪弥の声が夜に響き、その直ぐ脇に火具土が腕を降ろした。
 奈嘉背も、火具土を見上げ、足を止める。
 次々と男たちが、奈嘉背と雪奈の脇を追い越していく。
「あれが逃げます、一緒に」
 奈嘉背は珪弥のその言葉に、「解り申した!」と応えて、降ろした火具土の腕にしがみ付いた。
 そして、火具土は僅かに腕を戻すと、玉砂利に鉄塊を押し付けたような、鎧羅独特の足音を発てて火具土は動き出す。
 奈嘉背が見る先には、黒いヒトガタが否、髑髏の面を被った黒い男が、サヤを肩に担いで木塀の上に立ち、足元の男達を睨めつけてる姿が見えた。
 男達は怒号をあげ、刀や棒で威嚇をしているが、その髑髏男がサヤを担いだままでは落とすことも出来ない。
 火具土が足音を響かせて近付く。
 髑髏男は少し首を上げて、火具土の姿を確認すると木塀の向こうに下りた。
 火具土は木塀を一足で跨ぎ、その後を追う。
 奈嘉背は揺れる火具土の腕に掴まりながら、闇に消えそうなその後姿を凝眸していた。


 気づけば、珪弥は誘われるように火具土に向かっていた。
 月夜に浮かぶ火具土の姿は、昼間にもまして怖気を誘う妖しさがある。
 まるでその妖しさを破るように、宴の喧騒が珪弥の耳に響いた。
 はたと珪弥は我に返り、火具土に向かう足を、一旦平屋に向ける。
 珪弥は男部屋の、戸口の前に立つと、木戸を二、三度叩き、その戸を開けた。
「賊だ!」
 呆気にとられる皆に、珪弥はそう叫ぶと踵を返して、再び火具土に向かって走った。
 後方では男達の騒然とした声が聞こえる。
 珪弥が火具土に辿り着いたその時、「珪弥様、賊はどこです!?」という奈嘉背の声が響く。
「男部屋の裏だ!雪奈殿がまだ追っている!」
 その言葉に、珪弥は振り返りもせず、そう応える。
 火具土の腹を開き、裡へと入ると、奈嘉背の「わかり申した!」という声が聞こえた。
 珪弥は闇の中で、手探りで腕や掌に紐―――手繰り糸―――をいとも簡単に着け、ぶら下がった面を被る。
 そして、息を深く吐き、火具土を立たせた。
 火具土を透し視る珪弥の視界は、月明かりだけにも拘らず、真昼のように啓けている。
 珪弥は髑髏男が向かったであろう方向を睨んだ。
 見れば、髑髏男は雪奈や、奈嘉背、野卑な男達に追われながらも、既に木塀の目前にいた。
 珪弥は火具土を走らせる。
 平屋を跨ぎ、貯蔵小屋を避け、二歩三歩と近付く。
 しかし、広いとはいえ、それは人に対してのこと。
 鎧羅の採寸ではやはり狭く、思うように歩が踏めない。
 それでも何とか目前まで歩み寄ると、髑髏男は軽々と木塀の上に乗る。
 珪弥はその時、目の端に奈嘉背の姿を見止めると、「あれが逃げます、一緒に」と言いながら、火具土の片腕を地に落とした。
 奈嘉背がそれに「解り申した」と答え、腕にしがみ付くのを珪弥は確認すると、腕を少し戻して再び火具土を歩ませる。
 再び視線を髑髏男に向けると、木塀の下で手に刀や棒を持って、髑髏男に怒号を叫ぶ男達が見えた。
 髑髏男は木塀の上を少し移動しながら、それを睨んでいる。
 そして、髑髏男は火具土の姿を見ると、木塀の向こうへと飛び降りた。
 珪弥もそれを追う。
 火具土が近付くと、髑髏男を追おうと塀にしがみ付いていた男達は、わらわらと散った。
 珪弥は火具土に塀を跨がせる。
 一足で跨ぐと、深々とした木々が広がっていた。

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