「すまない」
 珪弥はただ、頭を下げ謝った。
 目の前には屈んだまま、背を向けた雪奈の姿がある。
 更にその前には、土を盛った上に石が積まれた粗末な、本当に粗末な墓があった。
 この下には、奈嘉背の遺骸がある。
 珪弥は頭を上げ雪奈を見た。
 それに呼応するように、雪奈はゆっくりと立ち上がり、その場で振り返った。
 その雪奈の貌はやはり、悲しさとも、悔しさとも取れない不可思議な貌をしている。
 ただ、眉間に出来た皺からは、苦しんでるような、もしくは憤ってるような険しさを受けた。
 その貌に、ふと、幼い頃の雪奈の姿が重なる。
 ―――何時から雪奈は…
 ―――彼女は、笑わなくなったのだろうか?
 幼い頃、未だ主従関係も曖昧な頃は、もっと笑っていた様に思う。
 燎家にとって、直下の家臣である白塚家との関係は深い。
 のみならず、珪弥や実妹のサヤの面倒を見たのは、乳母や実母を除けば、白塚奈嘉背が尤も多いことになる。
 特に剣技に関しては、師とも言えるだろう。
 そして剣の鍛錬には、当然雪奈も一緒だった。
 同い年と言うこともあって、その頃はサヤを含めて良く遊んだものである。
 そして、その頃の雪奈はもっと、笑っていたように思う。
 そう、珪弥は過去のことを反芻しながら、雪奈を凝眸した。
「何故?」
 そんな珪弥に、不意に雪奈が問うた。
 その貌はやはり険しい。 
「何故、謝るの?」
 雪奈は口調を強めて、続けてそう問う。
 珪弥は答えに窮した。
 何故なら、墓前で佇む雪奈の姿を見て、咄嗟に謝っただけであるからだ。
 そう、珪弥自身、己が何故に謝ったのか、実のところ判ってはいない。
 そもそも、雪奈に近付いたのも良く判らないのだ。
 はっきりしている事は、奈嘉背の死が、己の責であると思ったから謝ったのではない事である。
 それは、この一党の長であることの自覚はあるが、臣下の死までも背負うほど増長してはいないからだ。
 ただ、珪弥は奈嘉背に対して、複雑な思いがあった。
 それはやはり、二年前のあの青海寺でのことである。
 あの時は、奈嘉背によって助けられたと言っても過言ではない。
 だが、あの時奈嘉背は蒼朔僧正を、助けなかったのも事実だ。
 今思えば、あの時は助かったとしても、その先は知れている。
 そのことを考えれば、あそこで死なせてやるのは寧ろ、優しさであったと取れるだろう。
 だが、そう判っていても、やはり割り切れない”何かがある”。
 それに、奈嘉背は珪弥にとっては実父以上に親しい人間であり、青海寺に行く以前のもっと幼い頃から、面倒を見、剣技を教わった人であるのだ。
 だから、本当ならば、蒼朔僧正よりも思いは強い筈である。
 尤も、こういった感覚を比べること自体、間違ってはいるのだが。
 それでも、そう考えるのが妥当である。
 だが、
 否、だからこそ割り切れない思いが、何時までも凝り固まり、珪弥の心に、澱の様に溜まっていた。
 だがそれも、時と共に薄れてゆくものである。
 しかし、奈嘉背の死によってそれが再び、珪弥の心に浮き上がったのは間違いない。
 ―――だから、
 ―――だから、今ここで、雪奈に謝ったのかもしれない。
 そう、珪弥は思う。
 そうは思うものの、それはとても口に出せるような、明確な答えではない。
 だから、珪弥はただ黙って、雪奈から視線を逸らす以外なかった。
 その態度に、雪奈は憤慨した様に、声を荒げる。
「何故何も言わないのですか!?あなたは何時もそうやって押し黙って、謝って、自分の所為にすれば凡てすむと思ってるのですか!?」
 雪奈のその言葉は、珪弥の心中とは違っていた。
 だが、珪弥はただ黙って聞く以外なかったのだ。
 視線を雪奈に戻す。
「だから何故、黙ってるの!?それに私はただの家臣に過ぎないのですよ。それにここまで言われたのです、私はあなたに殺されても文句は言えない。だけどあなたは…」
 雪奈はそこまで一気に言うと、珪弥から視線を逸らした。
 その貌はやはり、苦しそうである。
 雪奈はすこし俯きながら何か、口内で呟いたのだが、何と言ったのか、珪弥には判らなかった。
「…すまない」                 
 そんな雪奈の貌に、珪弥はやはり、また謝ってしまった。
 雪奈は大きく頭を振って、再び視線を珪弥に戻す。
 その雪奈の貌は、憤りが見えたが、同時に戸惑いの様なものも見えた。
 暫し、そのまま珪弥と雪奈は視線を交じ合わせたが、雪奈は直ぐに貌を曇らせて、また顔を背ける。
 そして、雪奈はそのまま珪弥の脇を抜けて、走り去っていった。
 そのまま珪弥は、雪奈が消えた後の、奈嘉背の墓を見る。
 そこに、今までの苦しみに満ちた、雪奈の貌が浮かび、珪弥は気付いた。
 笑わなくなったのは、己もだったと。

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