夕闇が逼ろうとする頃合いだというのに、陣内には松明が焚かれ、騒がしく人々が往来していた。
進軍の意を固めた珪弥の声で、兵等がその用意をしているのだ。
各々、太刀や槍等、自らの得物の手入れをし、鎧羅騎兵は己の鎧羅に乗り、その感覚を改めて確かめている。
珪弥も同じく、己の鎧羅、火具土の裡に収まり、その様子を凝眸していた。
珪弥が乗る火具土の周りには、一回り小さい、陣傘の様な頭と単眼の顔を持つ、兵達が乗る鎧羅―――――灯火の姿が見える。
そして足元では、他の兵達と飯炊き女達が、明日の用意に右往左往しているのが見えた。
後方で、独特の音を発てて、白狼が立ち上がるのを感じ、珪弥はそちらをに目をやる。
松明に照らされた白狼は、その名の通り、白い狼の様な顔を擡げていた。
白狼に呼応するように、兵達の鎧羅、灯火達も立ち上がる。
山間に重たい鉄が擦れる、鎧羅独特の音が響き渡った。
その時である。
突如、木々を薙ぎ倒しながら、”それ”が現われたのは。
雪奈は、けたたましいその音に、直ぐさま白狼の踵を返した。
それは、貯蔵小屋の向こう、陣内の敷地の外から響いている。
音は徐々に大きくなり、やがてその音を発していたそれを、雪奈は見た。
それは、木々を薙ぎ倒し迫る、巨大な影。
夕闇に現れたその影は、無数の突起の付いた丸い頭に、単眼で牙のような物が生えた顔、その下に続く躯は大きく丸みのある胸に、蛇腹状の腹を持っていた。
その姿が、雪奈に鎧羅であることを判らせる。
そう、とてつもなく巨大な。
大きいと思っていた、火具土の倍近くはあるだろうか。
雪奈はその姿に思わず息を呑み、そのまま、やはり硬直した。
その鎧羅の、足音が響く。
他の者達もその姿に、一様に目が奪われているようで、先ほどまであった喧騒は嘘の様に消え、ただその、巨大な鎧羅の足音だけが、辺りに響いた。
それでも、その鎧羅が、あと数歩で陣内に踏み入ろうとすると、我に返ったように数名の兵達が前に躍り出て、手にした得物を構える。
その内、鎧羅―――――灯火は三体。
どれも十字槍を手にし、身構えている。
巨大な鎧羅はその姿を、見止めた様に立ち止まると、丸みのある両肩から伸びたその腕。
皿を重ねた様な、節のある上腕と、両脇に管が付いた長い下腕を、振り上げた。
その刹那である。
上空から落下音が響き、その三体の鎧羅の上に、黒光りする樹木のようなものが数本、降り落ちてきた。
金属同士が激しく衝突する音が響く。
一体はなんとか逃れたものの、残りは衝突音と土埃に塗れ、完全にそれに潰されていた。
雪奈はそれに、思わず戦慄く。
そんな雪奈を余所目に、その巨大な鎧羅は、再び動き出した。
足音が響き、陣内の兵は再び騒然と動き出す。
そして、その足が板塀を踏み潰し、その巨大な鎧羅は、終に陣内に巨大なその足を、踏み入れた。
巨大な鎧羅は、緩慢な動きで、両腕を振り上げ、そのまま無造作に振り下ろす。
貯蔵小屋が爆ぜ、男部屋も女部屋も叩き潰し、その巨大な両腕が、雪奈の直ぐ横に土煙と轟音を響かせ、落ちた。
朦々とした土煙の中、雪奈は辺りを見る。
数体の灯火がその腕に押し潰され、ただの鉄塊となり果てていた。
その光景に、雪奈は再び硬直する。
硬直する雪奈に、地面を削りその巨大な鎧羅の、両腕が迫ってきた。
土塊が、呆然と立つ雪奈に迫る。
流石に、雪奈もそれには我を取り戻し、直ぐさま白狼を跳躍させて、その腕を飛び越えた。
雪奈が着地をすると、その巨大な鎧羅は、再び緩慢な動きで、両の腕を振り上げ、攻撃しようとする。
だが、その腕が頭頂に達した時である、雪奈の視界を閃光が遮った。
その閃光は、巨大な鎧羅の弓手で弾け、その腕を吹き飛ばす。
雪奈はそれに、はっとし、白狼を振り返らせて見た。
その雪奈が見たのは、火具土の姿である。
火具土が神火を放ったのだ。
地鳴りが響き、雪奈は白狼の顔を戻す。
見ると、土塊と土埃を巻き上げながら、その巨大な鎧羅が、弓手に受けた衝撃で、尻餅を着いていた。
雪奈がその光景に、呆気に取られていると、すっと火具土が白狼の横に出、「皆の者、行くぞ!」と珪弥の声で叫んだ。
そして、叫ぶと同時に火具土が走り出し、その後に兵や灯火が続く。
呆気に取られていた雪奈も、それには、はっと我を取り戻し、白狼を走らせた。
火具土を先頭に兵達が、尻餅を着いたままの、巨大な鎧羅の脇を抜け、山道に下りる。
雪奈もそれに続く。
山道は、その巨大な鎧羅が踏み荒らした為に、木々が払われ、下り易くなっていた。
雪奈は山道を駆け下りながら、白狼の首を捻らせ、振り向く。
雪奈の目に、巨大な鎧羅が、再び緩慢な動きで立ち上がり、残った馬手を振り上げたのが見えた。
そしてその手から、黒い塊が飛ぶのが見え、雪奈はそれに目を凝らす。
その瞬間、落下音が山間に響いた。
雪奈はそれに反応して、今度は白狼を見上げさせる。
半月の光に照らされ、黒光りする何かが、無数に降るのが見えた。
雪奈がそれに、吃驚し「えっ?」と呆けた声を漏らす。
その刹那、鉄が爆ぜる音が響き、白狼の周辺に大きな、鋼鉄の鋲が降り注いだ。
その鋼鉄の鋲は、灯火や兵達を貫き、地面に次々と突き立つ。
何時の間にか、響き渡る落下音と鉄の爆ぜる音に、雪奈は思わず叫んで、白狼の足を速めていた。
―――い、否だ、
―――まだ、死にたくない!
雪奈の心に、純粋な思いが溢れる。
だが、闇雲に走る雪奈の目の前に、その鋼鉄の鋲が落ちた。
白狼は眼前に突き立った、その鋲に激突し、そのまま後に倒れる。
雪奈の背筋に衝撃が響く。
衝撃に貌を顰めた雪奈は、そのまま上空を仰ぎ見た。
雪奈の目に、落下音を纏いながら次々と降り注ぐ、その鋲が映る。
雪奈は逃げようと頭では考えるものの、その躰は何時もの様に、硬直してしまう。
吐息と共に、雪奈の口から「ああ…」と、抜けた声が漏れる。
雪奈が戦慄いたその刹那、再び、雪奈の視界が閃光に没した。
その眩しさに、雪奈は瞼を閉じる。
そして、再び瞼を開けた、雪奈の視界には、無数の鋲は消え去り、その代わりに、火具土の顔が映った。
火具土は珪弥の声で、「雪奈殿、大丈夫であるか?」と聞く。
雪奈はそれに、「はあ…」と呆けた声で返すと、白狼をやっと立ち上がらせた。
「では、行きましょう!」
その雪奈を一瞥し、珪弥の声で火具土はそう言うと、踵を返し再び走り出した。
雪奈も無言で、その後に続く。
雪奈は何故かその時、今まで感じたことの無い安堵感を感じていた。
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