乎岳の眼前に立つ、白狼との間に突如、髑髏の顔を持つ黒い鎧羅現われた。
 その髑髏の鎧羅は、小太刀を逆手に握った両の腕を広げ、弓手で白狼の肩を叩き、衝撃に前のめりになったところを、馬手の小太刀を腹部に突き刺そうと頭を振る。
 だが次の瞬間、その鎧羅は突然動きを止め、その顔を白狼の遥か後方へと向けた。
 呆気に取られていた乎岳は、その髑髏の鎧羅につられ、思わず同じ方向に視線を向ける。
 乎岳はその視界に映った、光景に驚愕した。
 白狼とその髑髏の鎧羅の、遥か後方には、向かって右に小高い山の陰、左には平地が広がっているが、実際、眸に映るのは、山道の途中と言うこともあり、山の一部が見えるだけである。
 その山が突如、光ったのだ。
 顔を背けたくなる程の強い光が、その山の中腹を包む様に広がり、乎岳の眸を襲った。
 瞼を閉じ、文字通り顔を背けても、眸の奥が痛くなる程の光。
 その光が山を完全に包むと同時に、今まで感じたこともない、凄まじい震動が乎岳を襲ったのだ。
 その震動は、乎岳だけでなく、この山を、否、この世の凡てを震わす様に感じた。
 愛馬―――――茜号が嘶き、震動と光に震えている。
 馬ですら、この事に震え、驚き、硬直しているようだ。
 乎岳は手綱を強く握ると、茜号と同調する様に俯いた。
 やがてその凄まじい光と震動が収まり、乎岳は俯いたまま、恐る恐る瞼を開ける。
 そして、その顔を上げ、あの山を再び見た。
 乎岳は、再び見たその光景に、驚愕よりも恐れを感じ、戦慄く。
 その光景とは、あの遥か向こうに聳える山に、まあるく巨大な穴が穿たれている姿であった。
 あまりにも信じられない光景に硬直し、声も出ない。
 それは眼前の白狼―――――雪奈も同じようで、頭を振った状態で、そのまま硬直ている。
 だからであろう、その光景に、完全に心を奪われた乎岳は。
 否、ここに居る者達、凡てが、髑髏の鎧羅が消えた事に、気付かなかった。


 己が眸を襲った光が消え、凄まじかったあの震動も落ち着き、信也はやっと瞼を開けた。
 絶影を通して信也の目に、再び宵闇が戻って見える。
 前方には、先ほどの震動による所為か、半ばまで葉を落とした木々と、再び俯いたまま立ち尽くす火具土の姿があった。           
 火具土は、開いた鶏冠から、何か湯気の様な靄を立ち昇らせ、あの光を放つ前と寸分違わぬまま、そこに居る。
 信也は咽喉を鳴らして、息を呑むと、絶影の頭を振らし、後方を見た。
 信也はその光景に言葉を失って、硬直する。
 信也が見たのは、遥か後方に聳える山に、まあるく巨大な穴が穿たれている光景であった。
 信也は暫し硬直した後、再び前を向き、火具土の姿を見る。
 その時、火具土はゆっくりと、再びその顔を上げた。
 信也の顔が蒼白に染まり、戦慄く。
 そして、信也はうろたえる様に、絶影の腹部を開け、その裡から飛び降りた。
 音を発てて、信也の躰が地面に落ちる。
 その刹那、再び光が信也の背後で破裂した。
 信也はそれに反応するように、頭を抱え蹲る。
 そして、再びあの震動が信也を襲い、無様にも叫び声を上げていた。
 震動に呼応して木々が軋み、悲鳴に似た音を谺させる。
 やがて、震動が収まると、信也は恐る恐るその顔を上げた。
 火具土は再び、俯き、ただ立っている。
 信也は、ぎこちない動きで、立ち上がると、ゆっくりと踵を返した。
 再び山が聳える、後方を仰ぎ見た信也は、その光景にたじろいだ。
 あの山が、遥か後方に聳えていた筈の山が、すっかりその姿を消していた光景であった。
 息を荒げ、信也は顔を下げる。
 その時はたと、信也は、己の鎧羅が見えない事に気付いた。
 宵闇の中、目を凝らし、信也はその痕跡を探す。
 そして、僅かに、己の膝辺り程、足首辺りだけが残った、絶影の残骸を見た。
 その残された足首の上面が、僅かに赤黒く光っている。
 未だ熱を帯びている様だ。
 それに、咽喉を鳴らして息を呑むと、再び踵を返して、前を向き直した。
 火具土は変わらず、宵闇に佇んでいる。
 絶影を通して見るよりも、濃い闇の中佇んでいる火具土は、遥かに怖ろしく見えた。
 信也の背に、怖気が走る。
 信也はその怖気に圧される様に、一歩下がると、躰を振って、この火具土から逃げようとした。
 だが、足が縺れて、膝を着いてしまう。
 無様にも、四つん這いになりながら、尚も逃げようとする。
 その瞬間、再び火具土の動く音が、信也の耳を突いた。
 信也は、その姿勢のまま硬直する。
 顔中に、脂汗が滲む。
 しかし次の瞬間、信也の躰は見えない何かによって、掬い上げられた。
 不可視なそれが、信也の躰を担ぐように空を跳ぶ。
 信也は見えないそれを、仰ぐように見て、「隠形鬼か?」と言った。
 その言葉に呼応するように、髑髏の顔を持つ鎧羅―――――隠形鬼がその姿を顕にする。
 その刹那、信也の眼下を、再びあの光が満たした。

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