珪弥は、その屋敷を叩き壊す様に、火具土を歩ませる。
火具土と同程度の高さのその屋敷は、材木の爆ぜる音を響かせて崩れていく。
珪弥が破壊しているのは、藤原千方の砦、戒道信也の守護する場所だ。
珪弥達がここを攻めたのは、一昨日前、紀朝雄の話による、朝廷の千方討伐にある。
紀朝雄の話では、朝廷から正式に、千方討伐の命が下ったとの事だ。
そうなると、独自に行動している珪弥達は、朝廷の軍にとっては、邪魔者以外の何者でもなかった。
だがしかし、このまま紀朝雄の指揮する、朝廷軍が千方を討ち取れば、燎家の家督預かり人である、戒道信一郎の行動―――千方側の間者として暗躍している事―――が露見し、皇の沽券に関わる事になる。
近衛七士と言えば、皇の手足と同じ。
それが謀反に加担したなど、あってはならない事である。
公になれば、天皇の威厳は失墜、朝廷は混乱の極みになる事は明白。
しかしながら、紀朝雄も、朝廷の命に逆らうことは出来ない。
そこで、紀朝雄が提示したのは、珪弥との協力であった。
この勅命を、紀朝雄に下したのは、時の関白である。
今、現天皇の威厳が失われると、尤も困る人間だ。
だが、彼人は、それを承知で命を下した。
しかし、それは己が地位を蜂起する事を、覚悟した訳ではない。
事態が、それだけ逼迫しているのだ。
そこで珪弥達に、紀朝雄に協力することで、この関白が動き、戒道信一郎の始末をつけると言う約束がなされた。
実際、関白自体も己が地位を護るならば、千方討伐後、燎家の失態を隠す為に、正式な家督を受け継ぐ者が必要である。
そう言った意味では、珪弥達は丁度良い存在であった。
珪弥側としても、目的は同じであり、しかも想定していた事よりも遥かに楽に、早く事が決まるのだ、理には適っている。
否、協力はせぬでも、関白はそれを、”しなければならない”。
協力を拒んでも、支障は無かっただろう。
しかし、だからと言って身勝手に動くことは、悪戯に朝廷の邪魔をする事でもあるし、延いてはしこりを残す可能性もある。
ここは素直に従った方が、得策と言えた。
それに、奈嘉背が死に、サヤを喪った珪弥達はもう、このままでは収まらない。
陣を引き払って、傍観に徹する事も出来ない以上、協力する以外、道は無いと言えた。
その協力とは、鬼達が詰める、この砦を襲い、鬼達の相手をすることである。
それは、珪弥達にとっても願っても無いことであった。
この砦には戒道信也が居る。
珪弥達にとって、憎んでも憎みきれない、怨敵とも言える人間だ。
見た事もない、父兄の仇である藤原千方よりも、見知ってる分、その憎しみも一入である。
兵たちも皆、その首を取りたがっている程だ。
であるから、本懐が得られぬとも、戒道信也の首だけでも取れるのならばと、皆そう思って、紀朝雄の言葉に賛同したのである。
だがしかし、珪弥には別の思いもあった。
音を発てて、屋敷が崩れる。
珪弥達が夜明け前に攻め入ったこの砦は、外見からでは、山奥にある大きめの屋敷程度にしか見えない。
倍近くある岩山を背負い、周囲をぐるりと漆喰の壁で囲った、立派な屋敷である。
ただ、あまりにも山奥にあり、それが不自然ではあるが、麓の村にもここが砦だと気付いた人間は、殆ど居ない様だ。
近隣の村では、皆、地方豪族の遊び場程度にしか、見てなかった様である。
尤もこれは、半分は当たっているとも言えた。
何せ、この屋敷の持ち主は、藤原千方であるからだ。
この砦は元々、造反前から、藤原千方が伊賀に持っていた屋敷に他ならない。
屋敷の背にある岩山には、長い洞穴があり、それは現在、貯蔵庫兼、連絡路として千方窟と呼ばれる、やはりこの砦と同じようなツクリの、千方の拠点と繋がっている。
珪弥達は紀朝雄との約束どおり、夜半過ぎに自陣を出、紀朝雄の率いる朝廷軍よりも先に、この砦に攻め入った。
ここで珪弥達が、鬼達を足止めをしている間に、紀朝雄は藤原千方の本陣へと攻める手筈だ。
鬼達は、残り二鬼。
おそらく、あの髑髏の鎧羅と、巨大な鎧羅に違いない。
白み始めた空の中、門と塀を破壊し、珪弥達はこの砦に攻め入ったのだ。
案の定、髑髏の鎧羅と、弓手を失った、あの巨大な鎧羅が、屋敷の影から飛び出て、珪弥達を襲った。
だが、鎧羅にとっては、狭い敷地内である、物量で圧倒する珪弥達は、それを難なく抑え、火具土で屋敷を破壊したのだ。
尤も、破壊せずとも、屋敷と洞穴までは、鎧羅二体程が並んで歩ける程には隙間があるのだが、結局、後々に破壊してしまう事と、心理的効果もあり、珪弥はこの屋敷を破壊したのだ。
屋敷を破壊し、その後ろにあった、洞穴が顕となる。
入り口の大きさは、火具土よりも一つ頭ほど低い。
ただ、横幅があり、鎧羅二体程度ならば余裕であろう。
珪弥は火具土を屈ませて、一歩、その足を洞穴内へと歩ませた。
珪弥の後方では、瓦礫の落ちる音と、鎧羅同士が争う音が聞こえる。
珪弥は、後ろ髪を引かれながらも、更に洞穴内へと、火具土を歩ませて行く。
火具土の足音が、洞穴内に深く響いた。
入り口から緩やかな勾配で下ってゆくこの洞穴は、どうやら方々に人の手が加えられ、良く見れば壁には、松明を挿す、紐で結わえられた竹筒も見える。
勾配も緩やか過ぎ、人の足でも楽に下れるものだ。
徐々に奥へと行くにしたがって、洞穴内は広くなっている様である。
屈んでた火具土の背も、今は伸ばした状態で楽々だ。
珪弥は、辺りを注意深く見渡す。
足元には木箱が積み上げられ、おそらくここに食料や、武具などが収まってるに違いない。
更に奥へと行くと、少し左に折れて、一層広い場所に出た。
ここには、大量の、烏帽子頭の鎧羅が立ち並んでいる。
升状に区切られ、幾つかの塊となった鎧羅達が、五升分、奥の壁まで並んでいるのが見えた。
規律正しく整理された様は、壮観だ。
それに、珪弥は暫し絶句する。
その時である、「待っていたよ!」そう、信也の声が、洞穴内に谺した。
その声に珪弥は、首を振って、火具土を通し、周囲を見渡す。
すると、鎧羅独特の足音が谺した。
珪弥は素早く首を戻し、音の方を見る。
珪弥は、己が眸に映った、その鎧羅の姿に、思わず小さく声を漏らすと、絶句した。
漆黒の躯に、鉄色の、蛇腹状の腹部、節だった腕と太腿部。
そして、その顔は白く、起伏のない形状で、紅い双眸が、亀裂の様に並んでいる。
頭部には、鉛色のおどろ髪に、額から黄土色の様な、黄金の様な色合いの、鋭利な角が後頭部まで並んでいた。
珪弥は、咽喉を鳴らして、息を呑む。
それはまるで、漆黒の火具土の様であった。
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