咆哮を響かせ、異形の鎧羅となった、黒い火具土は、三対となったその腕を上げ、六方に振り下ろした。
 珪弥にも、一本が向かってくる。
 珪弥はそれに驚きながらも、火具土を飛び退かせながら、神火を放ち、その攻撃を何とか凌いだ。
 珪弥に向かってきた、腕が爆ぜ、溶けた鉄の、飛沫が舞う。
 珪弥は、火具土を着地させ、異形の鎧羅を仰ぎ見る。
 異形の鎧羅は、先を失った腕を下げつつ、五方に手を着いた状態で、僅かに躯を震わせ、呆然と立っていた。
 珪弥は半分ほどになった、その異形の鎧羅の、馬手側の腕に視線を移す。
 そしてそのまま視線を下げ、残り二本の腕に、視線を移し、そのまま下へと下ろしてゆく。
 掌の甲が見えたところで、珪弥は驚愕する。
 その珪弥の眸に映ったのは、その、一本の腕の掌に、あの髑髏の鎧羅と、白狼が下敷きとなっている姿であった。
 髑髏の鎧羅は頭部を残し、ほぼ完全にその掌の下敷きとなっている。
 一方、白狼は、下半身のみが、髑髏の鎧羅の躯に、圧し重なる様に、下敷きになっていた。
 珪弥は、砦の敷地から逃げる際に、脇目で白狼と、あの髑髏の鎧羅が争うのを見たのを、思い返す。
 珪弥は呼吸を整え、火具土を数歩近付かせる。
 近付くと、今まで見えなかった動きが、明確に珪弥の眸に映った。
 脈打っている。
 二体の鎧羅を、下敷きにしている腕が、脈打っているのだ。
 更に良く見れば、髑髏の鎧羅の、首から下部分は、少し融解した様に崩れており、下敷きにしている掌と、溶け合ってる様に見える。
 そしてそれは、雪奈の居る、白狼にも。
 珪弥はそれを見て、「雪奈殿!」と、その名を叫んだ。
 その叫びに応える様に、白狼の上半身が動いた。
 もがく様に両腕を振り、幾度か地面を叩く。
 しかし、もがいても、一向に脱せる気配は無く、徐々に、異形の鎧羅の、掌が沈んでゆく。
 髑髏の鎧羅も、融解が進み、既に、顔まで溶け出してきた。
「雪奈殿、もう白狼は捨てて逃げろ!」
 珪弥は、その光景に、焦りが篭った声で叫ぶ。
 白狼はその声に、ぴたりと動きを止め、暫し硬直したかと思うと、その蛇腹状の腹部を開け、その裡から、勢い良く雪奈が飛び出してきた。
 そのまま肩から落ち、数回地面を転がる。
 そして、素早く立ち上がると、青い貌で、珪弥に向かって駆け出した。
 珪弥はそれに、火具土に膝を着かせ、弓手を差し出させて、迎える。
 珪弥は雪奈が来るのを待ちつつ、視線を再び、あの異形の鎧羅に向けた。
 異形の鎧羅は変わらず、少し震えながら、立っている。
 視線を腕に移し、珪弥は絶句した。
 神火で、半分ほどになった、馬手側の腕が、見る見る治ってゆく。
 そこで、珪弥は理解した、あの黒い火具土が、これほど巨大で異形の姿に変わったのは、あの洞穴にあった、烏帽子頭の鎧羅を、凡て、その裡に呑込んだからだったのだと。
 珪弥の背筋が粟立つ。
 その時、珪弥は思い出した、信也の言葉を。
 ―――くだらんな、この程度の脆弱な力、
 ―――貴様ごと”呑込んでやる”
 あの言葉は比喩でも何でもなく、言葉どうり、そのままだった様だ。
「珪弥様!」
 その事に驚き、呆然としてる珪弥に、雪奈の声が響く。
 珪弥はそれに、はっとして、視線を移す。
 見れば雪奈は、既に火具土の、弓手の手首に跨り、その両腕を、しっかりと火具土の腕に絡ませていた。
 珪弥は少し息を吐くと、視線を異形の鎧羅と、雪奈とに、交互に移しながら、「立ちます!」と、雪奈に叫んだ。
 そして、火具土を立たせ、少しずつ後退らさせる。
 三歩程、下がった時、異形の鎧羅の、その神火で爆ぜた、一本の馬手が完全に元に戻ったのを、珪弥は見た。
 珪弥はそれに息を呑む。
 そして、「雪奈殿、確りと掴まっていて下さい!」と、叫ぶと、火具土に踵を返させて、走らせた。
 珪弥は、火具土を走らせながら、首を振らせ、その異形の鎧羅の様子を、仰ぎ見る。
 だが、珪弥の予想に反し、異形の鎧羅は、その腕が治ったにも拘らず、動く気配を見せない。
 珪弥はそれに、訝しげな貌で、火具土の歩みを弛め、止めた。
 そして、踵を再び返して、じっくりとその様子を見る。
 長い首を伸ばす様に、上を向いたまま、それはやはり僅かに震えて立っているだけだ。
 珪弥は視線を下げる、長い首、中央部が突き出た胸、翼の様に横に広がった、肩の装甲、細長く百足の腹の様に伸びた、蛇腹状の腹部。
 そして、三対になった、両腕…。
 珪弥はそこまで視線を動かし、はっとした。
 弓手側の、三本の腕を眸で辿った先に、その三本の腕に絡み捕られた様な、あの弓手を失った巨大な鎧羅が居たのだ。
 その躯はもう、半ばまで溶解している。
 どうやら、この鎧羅も呑込む気らしい。
 珪弥は、その光景に戦慄き、再び、異形の鎧羅の頭部を見た。
 良く良く見れば、少しずつ、その大きさを増している。
 更に巨大に、変貌しようとするその鎧羅に、珪弥はただ、呆然とする以外なかった。
 弓手を失った、巨大な鎧羅の姿は、もはや解け消え、異形の鎧羅は、更に巨大な姿へと変わる。
 その刹那、その光景に、ただ蒼白の顔で、呆然とする珪弥に、「珪弥様!」と、雪奈の声が響いた。
 その声に漸く珪弥は、はっとして、我を取り戻し、視線を移す。
 だが、珪弥の眸に映った、雪奈は、その顔を異形の鎧羅に向け、その顔色を、見る見る蒼白に変える姿であった。
 珪弥は、雪奈のその貌に、眸を剥きながら、視線を再び、あの異形の鎧羅に戻す。
 見れば、異形の鎧羅は、背筋を反らせながら、六本の両腕を大きく持ち上げ、広げていた。
 珪弥はそれに、驚愕の声を、小さく漏らす。
 そして次の瞬間、その、六本の腕を、珪弥に向けて振り下ろした。
 轟音を響かせ、凄まじい速さで迫るその腕を、珪弥はまた、火具土に神火を放出させ、大きく飛び退く事で、凌ごうとする。 
 再び、異形の鎧羅の、腕が爆ぜた。
 だが、爆ぜたのは一本と、もう一本の掌だけで、残りの、四本の腕は衰えることなく、珪弥に迫る。
 それでも、何とか跳び退いたのが早く、その攻撃を凌いだ。
 しかし、その衝撃と、土砂によって、着地を失し、尻餅を着く格好で落ちてしまった。
 衝撃が、珪弥の背を襲う。
 珪弥は直ぐ様、視線を弓手の、雪奈へと向けた。
 雪奈は何とか、まだその腕に、しがみ付いている。
 珪弥は、ほっと、胸を撫で下ろすと、雪奈に声を掛け様とした。
 だがその時、重たい鉄の、蠢く音が珪弥の耳に響き、珪弥は、はっとその視線を、異形の鎧羅へと変える。
 見れば、異形の鎧羅は、その巨躯を震わせ、地に着けた4本の腕を、そのまま広げた。
 土塊を巻き上げながら、四本の腕が、地面を削る。
 そして、その長くなった首と、その上体を、上方に撓らせた。
 珪弥はそれに、怖気を感じ、直ぐ様火具土を立たせると、踵を返させる。
 そして、珪弥は少し、弓手の雪奈に目をやると、「雪奈殿、また暫し我慢してくれ!」と叫び、火具土を走らせた。
 その背後で、重たい鉄の、軋む音が響き、珪弥は火具土を走らせながら、その首を捻り、仰ぎ見る。
 異形の鎧羅は、撓らせた首を振るい、その頭部を、珪弥に向けて、迫った。
 迫り来る、その白く起伏の少ない顔は、最初に見たものと違い、人の口にあたる部分が皹割れ、まるで牙を剥いた様である。
 珪弥はそれに、火具土の足を速め、そして、跳んだ。
 虚空を跳ぶ珪弥の背に、凄まじい衝撃が響き、それに気圧される様に、火具土は姿勢を崩して落下した。
 しかし、珪弥は何とか、空中で姿勢を変え、雪奈が潰されない様に、背中から落ちる様にする。
 衝撃が、珪弥の背中を襲う。
 それに、苦痛の声を少し漏らし、珪弥は視線を、弓手の雪奈に向ける。
 雪奈はぐったりと、疲れた様子で居るが、何とかまだ、腕にしがみ付いていた。
 珪弥はそれに、安堵の息を漏らすと、「雪奈殿」と、真剣な声でその名を呼ぶ。
 雪奈はその声に、はっとした様に、顔を上げた。
 珪弥はその、雪奈の顔から、視線を一旦、異形の鎧羅に向ける。
 異形の鎧羅は、その頭部を、珪弥が居た地面にめり込ませ、前傾姿勢のままで居た。
 珪弥はそれを確認すると、雪奈に視線を戻す。
 そして、その視線を、雪奈と異形の鎧羅と、交互に動かしながら、「雪奈殿、もうここまでだ」と、雪奈に言った。
 雪奈はその、珪弥の言葉に、呆然とした貌をする。
 それに珪弥は少し、苦い顔をし、奥歯を噛んだ。
「雪奈殿、もう、これ以上は、僕の力ではあれを倒すことはおろか、逃げ果せる事すら…」
 苦い貌で、珪弥は言う。
「だから、だからせめて、雪奈殿だけでも。僕は、僕はもう、誰も―――」
 そう、振り絞る様に言う、珪弥の言葉を、遮る様に、「イヤです!」と、雪奈は叫んだ。
 その、雪奈の言葉に呼応する様に、土塊を巻き上げ、再び鎌首を持ち上げた、異形の鎧羅の、咆哮が響いた。

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