「私は、私はあくまで、珪弥様の部下です。珪弥様が死ぬのならば、私も同じです」
 異形の鎧羅の、咆哮が谺する中、雪奈は、火具土に向かって、真剣な貌でそう言う。
 そして、そのまま、雪奈は瞼を閉じ、その身を火具土の弓手に委ねた。
 異形の鎧羅の、咆哮が止む。
 それに呼応する様に、火具土が音を発てて動き出すのを、雪奈は感じた。


 信也は、己が背筋を撃つ感覚に、咽び、歓喜する。
 人も、鎧羅も、鬼共すらも呑込み、信也は己の裡に、この世の凡てが、流れてくる感覚を感じていた。
 その感覚は信也に、まさに己がこの世の凡てを呑込んだ、神になった様に感じさせる。
 だがしかし、
 ―――何故だ?
 ―――何故あれは、こうも抗う事が出来る? 
 信也は、そう心で叫びながら、己が足元に居る、その鎧羅を見下ろす。
 赤黒い焔を描いた全身に、額には黄土色に似た鶏冠があり、そこから伸びた黒いおどろ髪、その下の顔は、焔の様に紅い眸が、亀裂の様に走った、起伏が少ない白い顔。
 火具土である。
 信也は忌々しく、その姿を睨む。
 そして、声にならぬ叫びをあげた。
 叫び声が、虚空に谺する。
 そして、その響きが収まるのを待たず、信也は己が、三対の両腕を広げた。
 わなわなと、その六つの腕に、力を込める。
 だが、その刹那、信也の視界を凄まじい、光輝が襲った。
 爆光の中信也は、広げた、六つの腕を振り下ろす。
 だがしかし、光は、信也の凡てを、呑込んだ。


 珪弥は、雪奈の言葉に、怯ろんだ。
 珪弥は雪奈を見る。
 しかし雪奈は顔を伏せ、その凡てを、火具土と、珪弥に任せた様だ。
 珪弥は懊悩する。
 激昂に駆られれば、実妹すらその手に掛けたと言うのに、面と向かえば、激しい憎悪を覚える男すら、殺すのを躊躇う。
 そんな、どうしようもなく弱く、情けない己と、雪奈は、その死を共にしても、良いと言う。
 君主とは言え、ただ引き摺り出され、祭り上げられた様なものだ。
 そんな人間が、部下とは言え、雪奈も含め、多くの人の、命を道連れにして良い訳が無いと、珪弥は思っている。
 だから、懊悩するのだ。
 それに、珪弥は己が、もう既に一度死んだことを、知っている。
 死んで黄泉還って、もう一度死ぬ。
 なれば、今生きてる事など、本当は、有り得ない事だ。
 ―――今、生きていると言う事実は、幻影に過ぎないのでは無いか?
 そんな、曖昧模糊とした、己が生死に、珪弥は決着を着けたかったのだ。
 だがしかし、雪奈はそれを知ってい様が、知らぬであろうが、ここで共に死ぬと言う。
 それは結局、己の我儘に、最後まで付き合わせるだけだ。
 ―――それだけは、
 ―――それだけは出来ない!
 ―――道連れにして、一緒に死ぬなど!
 珪弥は心の中で叫ぶ。
 だが今、この絶対的な状況を、打開する術が無いのも、事実。
 執拗に追ってくるあの、異形の鎧羅から、逃れることも難しい。
 ましてや、斃す事など、とてもではないだろう。
 せめて、あの時―――己が死んだ時―――火具土が放ったと言う、神火の力があればと、珪弥は思った。  
 苦い貌をする。
 だがそこで、珪弥は、はたと、ある事に気付いた。
 ―――死んだ?
 ―――僕は一度、死んだ?
 ”まさか”と思う。
 珪弥はその考えに、己で戦慄きながら、火具土を立たせると、両手の手繰り糸を外して、己が腰に挿した小太刀を抜く。
 それに呼応する様に、異形の鎧羅の、咆哮が止んだ。
 珪弥は、小太刀の刃が、鞘から凡て抜ききると、小太刀を両の掌で、逆手に握る。
 そして、珪弥は戦慄きながら、その小太刀を、己が鳩尾に向かって、突き刺した。
 くぐもった、苦痛の声が漏れる。
 熱く、焔よりも熱く、鈍い痛みが、胸元に広がり、やがて背中を伝わって、頭を痺れさせる程の痛みが、広がってゆく。
 だが、珪弥は尚も、深く刃を突き入れる。
 やがて、胸から背筋に広がる、熱く激しい痛みに意識は薄れ、そして…。
 珪弥は朦朧とする意識の中、眸を焼くほどの、凄まじい光が溢れるのを見た。

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