解説1・仮面ライダー編
仮面ライダーNEOS編
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00仮面ライダーZAN編
解説2・リジェネレータ編
基本設定編
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00種別紹介編
解説3・ザ・ジェネレータ編
特別編・コラム
「正義の本能、悪の本能。」
昨今、正義と言うものが判断しずらく、おいそれと正義を公言できなくなりました。
特に国家や政治、宗教と言う「群れ」としての正義は、なお判断しずらく見えにくくなっています。
例えば「01911」。
テロを起こしたアルカイダ側はそれを正義の鉄槌と言い、アメリカ政府はアルカイダに正義の報復とし、軍隊を出し戦争を起こしてまた犠牲者を増やしました。
どちらもそれぞれの主張があり、それぞれの正義の元に行動した事です。
その行動が、許されるか許されないかは別としても。
国家、宗教としての、それぞれの正義。

だが、私は正義そのものは、もっと単純なものであると思います。
それは国家や宗教などの連帯ではなく、個としての正義。
そして、それは誰もが持つ「正義の本能」。
それこそが真の正義と、私は思います。
それは、単純に「弱きものを護ろうとする心」
あらゆる人が一度は感じたと思う、「弱いものを護りたい」と。
なんにでも良い、生き物でなくとも、行動として表さなくとも、「護りたい」そう思う心は誰にでもあると私は思う。
それは、群れとしてしか生きられぬ人間の本能だったとしても、それこそが正義、「正義の本能」であると私は思います。
また、「強きを挫き、弱きを助ける」と言う言葉があり、「弱きを護りたい」と言うのはそれと混同されそうですが、似て非なるものであります。
それは闘い合うことは悪ではなくとも、善ではなく、正義でもないからです。
誰かを護るために、弱きものを助けるために闘うことは、高貴なる心なくしては出来ませんが、闘い、強きものを挫くその姿はある一方から見れば、それもまた弱きものを虐げるのと同じ様に見えます。
ゆえに、正義とはいえないのです。
しかし、悪ではない。

本当の「悪」とはまた別にあります。
それは、「自らのために他者を利用し、それを蔑ろにする事」であると、そう私は思う。
だが、社会で生きていく以上、人間は皆、何かを利用し、その何かを捨て登っていかなければいけない。
そうしなければ、自らが押し潰されてしまうから。
私達は生きている以上、何かを犠牲にしていかなければいけません。
あらゆる生物にもそれは言えます。
それこそが、原罪と言われる「悪の本能」であると私は思う。

全ての人間が持つと思われる、この「正義の本能」と「悪の本能」。
とかくこの時代では、この「正義の本能」は体現しずらい。
だけれども、誰にでもこの「正義の本能」はあると私は信じている。